小話

□春、桜の中で
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アルフォンスに促されて、ロイはリビングに入った。エドワードの両親が立ち上がったのを見て急いで深く頭を下げる。
「初めまして。ロイ・マスタングと申します」
「ああ、これはご丁寧に。エドワードの父です」
父親も頭を下げた。金髪と薄い金の瞳。同時に頭を下げた隣の母親は栗色の髪に金茶の瞳。なるほど、合わせるとこんなにはっきりとした金髪と金瞳になるのか。ロイは感心して傍に立つエドワードを見た。その金色は不安そうに俯いて、ロイの上着の端を握りしめている。
「さ、どうぞマスタングさん。おかけ下さい」
父親がソファの向かいを指して笑顔で言った。眼鏡の奥の瞳は値踏みするようにロイを観察している。ロイは軽く頭を下げ、失礼しますとそこへ座った。
アルフォンスがコーヒーを載せたトレイを持ってきて、テーブルの上に置いた。こちら側に2つ、向こうに3つ。エドワードはそれを見て、躊躇いがちにロイの隣に座った。不安からだろう、広い座面に構わずロイにくっつくようにして身を寄せてくる。大丈夫なのかと言いたげな視線を向けてくる恋人に、ロイは優しく笑ってみせた。

しかし。
今までたくさんの女性と付き合いはあったが、こうして家に挨拶に行くなどというのは初めてだ。結婚の申し込みなんて生まれてこのかたしたことがない。
いまだかつてないくらい緊張して、疲れているはずなのに眠気は微塵も感じなかった。手は汗で湿っているし、心臓は早鐘。体に力を入れていなければ足が震えてしまいそうだ。
ロイは唾を飲み込んで正面を見据えた。一生に一度の局面にみっともない醜態は晒せない。不安に揺れるエドワードもロイに余裕がないことを知ればさらに怯えてしまうだろう。頑張れロイ・マスタング。ここを乗りきれば、この先死ぬまでエドワードと一緒にいられるんだ。

「昨日から仕事で遠出をしていまして。これ、お土産なんですが」
ロイは手に持ったまま存在を忘れかけていた紙袋をテーブルに置いた。パーキングで買ってきたものだ。
「お口に合えば嬉しいのですが」
「あらまぁ、ありがとうございます」
母親がにっこりと受け取って、中を見た。
「嬉しいわ。お饅頭は主人が好物ですの」
「それはよかった」
ロイはほっとした。隣でエドワードも肩の力を抜いたのがわかった。
「わざわざありがとうございます」
父親も笑顔で礼を述べ、それからすっと背を伸ばした。
「えー、それで失礼ですが、マスタングさんはどういったお仕事を?」
「はい、」
ロイは抜いた力をまた肩に入れた。
「小さいですが、運送会社を経営しております」
「ほう、運送会社を」
頷く父親を見つめ、反応を探る。トラック乗りや運送会社に偏見を持つ人は少なくないからだった。
やくざ者や暴走族がやる仕事、もしくは流れ者の放浪者が就く仕事。そんなふうに見ている者は世間には意外に多い。
この父親はどうだろう。表情からは窺えないが、偏見を持っているとすれば息子をそんな男に預けるわけにはいかないと思うかもしれない。
「まぁ、社長さんですの?」
母親が感心したように言った。
「お若いのに、すごいのね。立派だわ」
「いえ……まだまだ小さい会社です」
「そんな。小さくてもひとつの会社を経営して社員を抱えるなんて、なかなかできることじゃありませんよ。ねぇあなた、しっかりした方じゃない?」
母親の年はいくつくらいだろう。ロイには見当がつかなかった。エドワードくらいの子供がいるからには40は過ぎていると思うが、かなりの童顔で年がわからない。優しく可愛らしい笑顔で自分を見るその瞳からは少なくとも偏見は感じられなかった。
「ああ、もしかしてエドが卒業したらアルバイトに行くと言っていたのは、あなたの…?」
エドワードはちゃんと親に話をしていたらしい。ロイは頷いた。
「はい。うちで働きたいと彼が希望してくれましたので」
「まぁそうでしたの。よろしくお願いします、マスタングさん。うちの子、我儘で世間知らずなので。鍛えてやっていただけたら嬉しいわ」
にこにこ微笑む母親はすっかり了承済みらしい。ロイは笑顔になった。
「いえ、こちらこそよろしくお願いします」
「エドワードはどうにもひ弱で」
父親がちらりと息子を見た。
「運送会社というところが実際どんな仕事をしているのか、私はあまりよく知らないんですが…務まるんでしょうか?」
この質問も想定内だ。ロイはにっこりと笑顔を向けた。業務内容は直接関わる職種にいる者でなければ知らないことが多い。まずはそこから理解をいただかなくては。
「運送屋はものを運ぶのが仕事です。トラックを使って、顧客に頼まれたものを届け先まで持って行く。時間も守らなくてはなりませんし、預かった荷物を破損変形させることなく無事に届けるのが仕事なんです。確かに重いものもありますし、数も少なくはない。エドワードくんにはきつい仕事だと思います。が、どんな仕事にもコツはありまして。慣れれば普通にこなせるようになるはずです。それに、エドワードくんにはやる気と責任感がある。必ずうちの会社の戦力として頼れる存在になると信じています」
エドワードが隣で居心地悪そうに身動きして、父親をちらりと見上げた。父親はうーんと唸って椅子に背を預け、なにか考えている。時折息子を疑うような目で見る夫の膝を、隣の妻が諫めるように叩いた。
「あなた、なんでもやってみなきゃわからないでしょう。エドがやりたいって言うなら、背中を押してあげるのが父親の仕事よ」
「そうなんだが……エドワードがトラックねぇ。ブレーキやクラッチに足が届くかどうか……」
悩むような表情の原因はそこか。ロイはちらりと隣を見て、また父親を見た。
「大丈夫です。女性でも乗れますし、椅子は普通車と同じように前へスライドしますし。多少足が短くても、なんとか」
「足らないのは全長だからねぇ。座って、はたして前が見えるのか……」
「座面は高いし、フロントガラスは大きいですから。多分見えるかと」
「だいたいきみ、エドワードはトラックに登れるのかね?梯子が要るんじゃないのか?」
「登るのは登れますから、なんとかなると思いますが。なんだったら下から押し上げてやるとか」

真剣な顔で話し合う父親と恋人に、俯いていたエドワードが拳を震わせて立ち上がった。
「……………てめぇら、そこ並べ。ぶん殴る」

暴れるエドワードと逃げ回る父親とそれを止めようとするロイを部屋の隅に避難して眺めながら、母親とアルフォンスは一緒にため息をついた。





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