小話

□きみの、その冷たい唇で
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バーのドアを開いて外へ出て、男は深呼吸した。タバコと酒の匂いが充満した店内の空気で淀んだ肺に、冷たく澄んだ空気は心地よかった。いっぱいに吸い込むとあたりに立ちこめている霧で胸の中が湿っぽくなったが、男は気にしない。すっかり酔っ払ってはっきりしない頭を振って、家路を辿るために歩き出した。
ふらつく足をなんとか前へ押し出すように歩く姿は千鳥足と呼ばれるそれだったが、壁に手をつくことでどうにか平行を保ち倒れないように家へ急ぐ。取り囲む霧は濃く、どうかすると足元さえ見えなくなる。見知った街が消え失せたような錯覚に、男は意味もなく不安になった。

灰色の細かい霧が阻む視界の中で、ふいにぽつりと街灯が見えた。
オレンジのうすぼんやりとした光になんとなくほっとしながら近づく男の目に、街灯の下で蹲る赤い固まりが映った。
一瞬驚くが、どうやらそれは赤いコートを着た人間らしいとわかって男は苦笑した。飲み過ぎたかもしれない。こんな霧に怯えるなんて。

傍まで行ってよく見ると、蹲る固まりはまだ子供のようだった。霧にしっとりと濡れた金髪が後ろでひとつに編まれていて、顔は膝を抱える腕に伏せていて見えない。長い髪と赤い服に、女の子だろうかと男は考えた。
こんな夜中にたった一人で街中に座っているなんて普通じゃない。もしかしてそういう商売なのか。しかし、これだけ霧が出ていては客など捕まえるどころじゃないだろうに。
子供の小さな体と蹲ったままの姿勢に、男は同情と憐れみを感じ立ち止まった。
その気配に、子供が顔をあげた。
白い肌と赤く艶めく唇に目を奪われて、やはり商売で客待ちしていたのかと男は一人で納得した。
見慣れない子供だ。どこかよそから来たのかもしれない。それにしても、なんてきれいな顔立ちだろう。街灯に反射して光る金の髪の輝きに負けないほど美しい金色の瞳。こんな色は見たことがない。

思わず見惚れた男に、子供がゆっくりと立ち上がって白い手を差し出した。

「…お腹すいた」

男は言われて我に返って、慌てて子供の手を取った。

「お腹がすいているのか?いいよ、ご馳走してあげよう。おいで」

「ほんと?」

子供が笑顔になった。
また見惚れそうになり、男は慌てて頷いた。それを見てまた嬉しそうに笑う子供は、男の手を引いて抱きついてきた。

「嬉しいな。オレ、もうお腹すいて倒れそうだったんだ。ありがとう」

その言葉使いに驚いて、きみは男の子なのかとじつに間抜けな質問を男が口にした。

それが、男の最期の言葉になった。












「またやられたか」

苦い顔で呟いて、ロイは横に立つ部下を見た。
凄惨な現場に顔色も変えない部下は、淡々とロイに向かって手にした書類を読み上げる。
「あのバーから出てここまで歩いてきて、犯人に出会ったようです。店をあとにしてからは誰も被害者を見ていませんし、物音も聞いていません。昨夜は霧が濃く、通行人などの目撃者も期待できないかと」
それからさらに被害者の詳しい履歴。ロイはそれを手を振って遮った。今まで3人この東部でやられたが、そのどれにも共通点はなかった。今回もそうだろう。だったら死んだ男の名前や生い立ちなど、聞いてもなんの役にも立たない。

共通するのは死に方だけ。ロイは現場に目を戻した。
すでに遺体は運びだされていて、街角の現場には少量の血痕しか残ってない。被害者の状態から考えたら、少なすぎる出血だった。

「なにしろ首ちぎられてたもんなぁ」
のんきな声で呟いて、ハボックが膝をついた。石畳の路上に手がかりを探してきょろきょろと見回すが、特になにも見つからなかったらしくすぐに立ち上がる。
「……なぜだろうな」
ロイも呟いた。被害者である男は首を落とされていた。切り落としたというよりはちぎり取ったと言ったほうがいいような状態だった。犯人は相当な怪力の持ち主のようだ。だが、それにしては血が少なすぎる。

「なぜ出血が少ないのか。声や音を付近の住民が聞いていないとこをみると殺してから首を切ったと思われるが、なぜそんな手間のかかることをするのか。わからないことばかりだな、中尉」
書類をカバンにしまいながら、ホークアイは現場を見渡した。鷹の目と呼ばれるホークアイの目にも、変わった物は映らない。
「それは捕らえてから犯人に聞いてみないと」
冷静な声で上司に答え、ホークアイは空を見上げた。高く澄み渡った空には薄い雲がわずかに浮かんでいる。
「今までと今回と、すべて濃い霧の夜の犯行でした。共通するものはそれだけです」
「霧ね」
ロイもつられて空を見た。隣に来たハボックがにやりと笑う。
「怪物が霧にまぎれて出て来たのかもしれないっスよ」
「なんだそりゃ」
「ガキの頃絵本かなんかで見たんスよ。怖くて霧の夜は窓の外も見れなかったな」
思い出して苦笑するハボックに、ロイはくすくす笑った。
「意外に可愛い少年時代だったんだな」
「いや、オレんち田舎っスから。夜は外真っ暗でさ、それでなくても不気味だったんスよー。早く寝ないと化け物が来るぞとか親に脅されたりして」

タバコに火をつけて、ハボックは路面に散る血痕を見た。

「バンパイア、とかね」

ハボックの目は意外と真剣に路上を見つめている。

「お伽噺だな」
ロイは肩を竦めてため息をつき、司令部に戻るぞ、とさっさと車に乗り込んだ。





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