小話

□ちゃんと、思ってるよ
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「兄さん、着いたよ」
寝たふりを決め込むオレの背中を、弟のでかい手がばしばし叩く。
「痛ぇな。わかってるよ」
仕方なく起きて見回せば、とっくに停まった車両から乗客がどんどん消えていくところだった。
「ほら、早く降りないと。回送されて車庫まで連れてかれちゃうよ」
さっさと立ち上がった弟が、トランクを持ってドアへと歩き出す。回送されるのは嫌なので、渋々ついて行って列車を降りた。
セントラルの駅は相変わらず大きくて複雑で、人波に飲まれてしまうともうどっちへ行ったらいいのかわからなくなってしまう。アルの背中を必死で追いかけながら、オレは今から行く場所を思ってため息をついた。

セントラルシティを見下ろす高台にある、年代物のでっかい建物。国軍本部。この国の政治の中心。
オレはそこに用事がある。
できれば郵送で済ませたかった、退職の手続きだ。錬金術が使えなくなったからには資格を返上しなくてはならず、それにはサインしなくちゃいけない書類が複数あるらしい。あと、国家資格を持つ証となる銀時計も返さなくちゃ。
『行くの面倒だしさ、書類送ってよ。そしたらサインして時計と一緒に送るから』
『きみ、頭は大丈夫か。そんな重要書類や銀時計を、郵便なんかでやりとりできると思ってるのか』
リゼンブールから電話したときに言われた言葉。そりゃまぁ、オレだって無理だろうなとは思ってたよ。けど、頭大丈夫か、はないだろう。だってリゼンブールからセントラルまで列車でまる一日かかるんだぞ?ケツが痺れた頃にようやく着いたと思ったら、次は上司の嫌味と揶揄を聞かなきゃならないなんて、考えただけでうんざりするじゃんか。
「バス来たよ」
振り向いた弟がそう言い捨てて、さっさと乗り込んでいく。行きたくはないが、オレの全財産の入ったトランクは弟が持っている。仕方なく乗り込むと、オレのそういう事情を知らないバスが軽快に走り出した。

そうして、本部前。
夕暮れに染まる城みたいな建物は、なんだか今からホラーな芝居でも始まるかのように不気味に見えた。
「行こ。きっと准将、待ちくたびれてるよ」
なにを食ったらこうなるんだか。なぜだかオレよりずいぶん背が高くなってしまった弟が、オレを見下ろした。鎧じゃなくなれば、今度はオレが見下ろす番だと思っていたのに。くそぅ、あの頃の可愛いアルはどこに行ったんだ。探してくるからおまえ一人で先に行け。
「アホなこと言って逃げようとしても無駄だからね。はい、こっちこっち」
襟首をつかまれて引きずられて、中庭を通ってロビーを通過する。顔馴染みの受付のおねえさんが、くすくす笑ってこっちを見てた。
ああくそ、めっちゃ恥ずかしい。あのおねえさん、優しいし美人なんだぞ。オレちょっとときめいてたんだぞ。アルのおかげで台無しじゃんか。
「え。兄さんて、そっち方面に興味あったの?」
どういう意味だ。
「全然そんな感じじゃないから、恋愛関係とか興味ないのかと思ってた」
おまえなぁ。オレだってお年頃なんだぞ。おまえにウィンリィがいるみたいに、オレだって彼女くらいほしいに決まってんじゃねぇか。
「彼女、」
アルは階段の途中で立ち止まり、なにか考えてる顔になった。なに、オレが彼女ほしがったらそんなに変なの。
「そうじゃなくて。じゃあ兄さん、准将のことは全然なんとも思ってないの?」
そんなことない。ちゃんと思ってるさ、死ねばいいのにって。
「えー…でも、いつもなんだかいい雰囲気だったじゃん。だからボク、てっきり」
いっぺん眼科行って目ん玉ほじくってもらって来い。どこをどう見たらそうなるんだ。
「少なくとも、准将は兄さんのこと好きだと思うな」
よし、オレがほじくってやろう。そんなふうに見えるなんて、おまえの目はもう腐ってる。
「いやいや、やめてよ!せっかく取り返した目なんだから」
悔しいことに、アルが手を伸ばしただけでオレは簡単に押さえ込まれてしまう。世の中不公平だ。背なんてなくていいやつには余るほどあるのに、なんでその一割でもいいからオレにまわって来ないんだ。
「とにかく、行こう。兄さん、准将をよく見てみなよ。ボクにわかるくらいだから、きっと兄さんにもすぐわかるよ」
今まで数年見てきたけど、微塵も感じませんでしたが。
「それは兄さんが勝手に准将を嫌って避けて、見ないようにしてたからだよ」
わかったようなことを言って、一人で納得して歩き出すアル。

見ないようにしてたわけじゃない。いつだってあいつの背中を見てた。

けどオレには、あいつの考えてることなんて一度もわかったことがない。すかした顔で、上からオレを眺めるだけで。
腹ん中でなにを考えていても、オレにはなにも言ってくれなくて。

嫌味を言ってからかうだけのあいつは、大事なことは何ひとつ言わない。

だから嫌なんだ。
あいつを見ると、イライラする。




「こんにちはー」
ドアを開けると、疲労困憊といった様子の大佐、じゃなくて准将と、にこやかな中尉が待っていた。
「いらっしゃい二人とも。長旅お疲れさま」
「お待たせしちゃってすいません。あの、お仕事のほうは大丈夫ですか」
オレたちはもう一般人なので、大佐じゃなくて准将が見るような書類はちら見しただけでも犯罪になる。それを気遣ってか、中尉はデスクに散らばった書類を手早く集めて腕に抱えた。
「今終わったところよ。お茶を淹れてくるから、座ってなさいね」
中尉が機嫌がいいのは、書類仕事が無事終わったせいらしい。デスクに突っ伏したまま動かない大佐じゃなくて准将に一瞥もくれることなく、さっさと部屋を出て行った。
「………あの。大丈夫ですか?」
デスクに数歩近寄ったアルが、そっと聞く。それに答える大佐じゃなくて准将の声は聞こえたが、なにを言ってるかはわからなかった。
「………そうですか。わかりました、ボク中尉の手伝いしてきますね」
なにやら頷いたアルが、部屋を出て行こうとする。えっちょっと、なんなの。なんで出て行くの。
「重要書類のやりとりに、ボクは邪魔でしょ?じゃ、またあとで」
にこにこしてオレの肩をぽんと叩き、引き止める間もなくアルは消えた。
「……………………」
「……………………」
痛い沈黙が部屋を支配する。
大佐じゃなくて、いやもう面倒くさいし大佐でいいじゃん。どうせ大佐も准将もたいして変わんねーよ。
大佐はデスクからちらっと顔をあげた。目が合って動揺してしまう。こんなに死んだ目してる大佐なんて初めてだ。
「………生きてる?」
部屋に入ってからずっと黙っていたオレの、これが第一声。
「なんとかな。………時計は、持って来たか?」
「うん。これ」
ポケットから銀時計を出した。刻んだ文字や閉じた蓋をアルが直していて、もらったときと同じ状態にしてある。
「………うん、確かに」
身を起こした大佐が、引き出しから書類を取り出した。
「返上に関する書類だ。こっちが誓約書」
「誓約書?」
「軍に従事している間に見聞きした事柄を、どんな些細なことでもよそにふれて回らないということを約束するものだ。きみは国家機密レベルのことも知っているからな、しっかり約束してくれないと」
「ふうん。これ、あんたに何人彼女がいるとか週に何回サボってデートしてるとかも含まれるの?」
「………誰から聞いたいつの話なんだ」
「さぁね。忘れたなぁ」
こいつの女癖の悪さは昔から有名で、嫌でも耳に入ってきていた。そうだ、そんな奴なんだよこいつは。アルの目はやっぱり腐ってるんだ。長いことあっちにいて、使わなかったからだろう。気の毒に。
書類を持ってソファに移動し、テーブルに広げた。さっさとサインして、こんな場所とは永遠におさらばしなくては。
「ほい、できた」
「中身をちゃんと読んだのか?」
「まぁ、だいたい。恩給が出るってマジ?オレ遊んで暮らせんの?」
「そこだけか」
呆れた顔の大佐がこっちに移動してきて、なぜか隣に座った。
「どんな書類でも、自分に関することはちゃんと目を通して考えてからサインする癖をつけなさい」
おまえが言うか、それ。仕事んとき、ろくに見ないで片っ端からサインしまくってんの知ってんだぞ。
「それを怠ると、困ることになるよ。ほら、こんなふうに」
「へ?」
オレがサインした書類の中から、大佐が一枚抜き出した。

婚姻届。

大佐のサインは、もう入ってる。

「……………えっ!」

どの書類にも、サインするべき場所には鉛筆で丸が書いてあった。だからそこにサインしたんだ。よく見ずに、片っ端から。

大佐のサインの横に、オレのサイン。



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