小話

□さくら
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東方司令部の裏庭の片隅にある、桜。

それが私。

誰が植えたのか知らないし、いつからそこにいるのかも忘れた。司令部の連中も私の存在など知らないようで、花が咲いても見に来る者はいない。

それでも毎年春になると勝手に花は咲く。成長していく私に合わせ、それはどんどん大きく華やかになっていく。

今年もまた、その季節がやってきた。枝々を飾る薄桃色の花を眺め、いつものごとく人知れず咲いて人知れず散っていくのだろうと考えていた。

そんなとき。

滅多に人の来ない荒れ果てた裏庭に、珍しく数人の足音と声が響いた。


「あ!ほら、あれです!やっぱり桜だったんだ」
嬉しそうに駆け寄ってきたのは、金髪と金茶色の瞳を持った賢そうな青年。あとからついて来た大人たちを振り返って笑顔になる。
「満開ですよ!ちょうどよかった」
大人たちは両手に紙袋を持ち、敷物を抱えている。
「おお、すげえな」
「こんなところにこんなきれいな花が咲いてるなんて、知らなかったですね」
太った男と小柄でメガネをかけた男が、私の根元に荷物を置きながら感心したように見上げてきた。
「さ、それ敷いてちょうだい。お弁当を出さなきゃ」
金髪を肩に流した美人がその場を仕切り、大人と青年は指示通りに動く。
珍しいことだ。どうやら花見の宴会をするつもりらしい。
「酒はまだ来ねぇのか?」
「遅いわね」
「ボク見てきましょうか」
敷物に上がって弁当や皿を並べていたメガネが立ち上がった。それへ美人が首を振る。
「そのうち来るわよ。せっかく休みなんだし、のんびりしましょう」
なるほど。ここに来れるくらいだから軍人なのだろうと思っていたが、軍服を着ている者がいないのは休日だからか。
四人は足を伸ばして座りこみ、私を見上げて目を細めた。風にのって散る花弁を掌に受けて、きれいだねとまた言ってくれる。
本来私はこんなふうに、春の日差しの中で人々に安らぎを与える木だった。それがなぜかこんな裏庭に植えられ、人目に触れることもなく年月を重ねてきたため、このように感嘆と称賛の目で見られることに慣れていない。いささか面映ゆくなって、身を捩ると枝がざわりと鳴った。
「でもアルフォンスくん、よくこんなとこに桜があるって気づいたよね」
メガネが青年を見ると、青年は苦笑して司令部の建物を指した。
「いつだったか兄さんを探してうろうろしてたとき、あの窓からこっちを見たんです。そしたらこの木が見えて。図鑑でしか見たことなかったけど、桜っていう木じゃないかなぁって思って」
「そういえばエドワードくんは?今日は一緒じゃないの?」
美人がまわりを見回した。手入れのされてない庭は草や木が伸び放題だが、人の気配はない。
「来るときは一緒だったんですけど。途中でハボック少尉に会って、買い出しの手伝いに連れてかれちゃいました」
「そうなの。じゃ、そろそろ来るかしらね」
美人は優しく笑い、ポットから紙コップにコーヒーを注いだ。太った男が弁当の入ったバスケットの蓋を開ける。中にはサンドイッチや唐揚げ、ポテトなどがぎっしり詰まっていた。
「お、旨そうだな。おまえ料理上手いなぁ」
太った男が感心したように見たのは青年のほうだった。美人が作ったのかと思ったが違うようだ。
「味は保証しませんよ」
照れ臭そうに笑うアルフォンスという青年は、コーヒーを受け取ってひとくち飲んだ。
「中尉、コーヒー淹れるの上手いですねぇ。なにかコツがあるんですか?」
「さぁ?年期が入ってるからじゃないかしら」
「ホークアイ中尉のコーヒーはいつも美味しいですよ」
にこにこと語り合う四人に薄桃色の花弁が降り注ぐ。絵に描いたように美しく穏やかな光景に、私も嬉しくなった。
花見の宴は初めてだが、いいものだ。
静かな裏庭のひとときに、そんなことをしみじみ考えたとき。
「うわ、ほんとに桜だ!しかもでっけぇし!」
「あ!おい、走るなよ!転んでケガでもしたらオレが叱られちまうじゃねーか!」
「転ばねーっつの!ガキ扱いすんな!」
建物の角を曲がってこちらへ走ってきたのは、金髪に金瞳の子供。そのあとから、やたら背の高い男が両手に酒の入った袋を抱え、タバコをくわえてついて来た。
子供は敷物に駆け寄って手にしていた紙袋を置くと、すぐさま私にしがみついた。木登りをする気らしい。
「兄さん、お弁当食べないの?」
咎めるようにアルフォンスが言う。確かに似てはいるが、どちらかというとアルフォンスのほうが兄のように見える気が。
「まだ腹減ってねぇもん」
兄はするする私に登って来る。かなり身軽なようだ。
「そりゃ、あれだけつまみ食いすればね」
呆れたようなため息と共に、アルフォンスは座り直した。タバコの男が敷物に上がり、ビールの缶を皆に配る。宴会の始まりらしい。
「よっしゃ、全員揃ったな!じゃ、かんぱーい!」
「かんぱーい」
タバコの音頭で皆が言い、缶の蓋を開ける音が響く。てんでに料理を取り分けて、静かだった裏庭はすぐに賑やかになった。
簡単に散る花弁が珍しいのか面白いのか、子供が枝を揺らす。吹雪のように降る花弁に、アルフォンスが眉を寄せた。
「兄さん!わざと散らさないでよ!」
「おまえも登ってこいよ!眺めがいいぞー!」
「兄さんは高ければなんでもいいんでしょー!」
言い争う兄弟をよそに、太ったのとタバコが二本目のビールを開ける。
「真っ昼間の酒は効きますなぁ」
「いやー、いいもんですなぁ」
「つかおまえ、花見たか?」
「そんなんどうでもいいじゃん。花見は酒だろ」
なにしに来たんだおまえら。
「昨日仕事頑張った甲斐がありましたね」
「そうね。みんなで休めるなんて滅多にないものね」
弁当を食べながら和やかな雰囲気のメガネと美人。
「兄さんてば!花びらが積もってきてるよ!いい加減にしなよ、花がなくなっちゃうよ!」
「わざと揺らしてるわけじゃねーもん!揺れるんだもん!」
かさかさ移動する兄とそれを下から見上げて怒る弟。この兄のほう、動きが俊敏すぎてまるきり猿だ。
賑やかな時間が過ぎていく。タバコたちはどんどん酔っぱらっていき、それにメガネと美人も加わった。弟は酔っぱらいの世話で忙しく働いている。
さっきまで動き回っていた兄は、いつのまにか静かになっていた。枝に座ってぼんやりと建物を眺めている。
せっかくの料理や飲み物にも手をつけないまま、宴の輪から離れた子供の見つめる先に、なにがあるんだろう。
私は彼の視線の先を追ったが、司令部の建物の壁に窓が並んでいるだけだった。こちら側は建物の裏手になるため、窓はどれも資料室だったり物置だったりする。しんと静まりかえった窓の向こうに動くものは見えず、私には彼が見ているものがなんなのかわからなかった。
諦めて視線をずらしたとき、一階の窓の向こうに人影が見えた。
青い軍服を着たその男は、宴を楽しむ連中を見ているようだった。こんなところで花見をするような者は他にいないから珍しいのだろうかと思ったが、それにしては熱心に眺めている。窓に貼りつくようにしてこちらを見る姿は不審者以外の何者でもない。
誰だろう。私の下にいるこの連中の知り合いだろうか。
考えていると、その男に気づいた子供がいきなり私から飛び降りた。
「わ!びっくりした!」
「どうしたの、エドワードくん」
突然降ってきた子供に皆が驚くが、子供は聞こえていないらしい。自分が持ってきてそのままにしてあった紙袋を掴み、男がいる窓へ駆け寄った。
中から窓が開けられる。子供はそこにいる男に紙袋を渡し、身軽に窓に飛び上がった。手を伸ばす男の腕に抱かれ、そのまま中へ入ってしまう。
「なんだ?エドのやつ、どうしたんだ」
「あ、あれ。准将ですよ」
「ほんとだ。一人だけ仕事が終わらなくて休みがとれなかった准将だ」
「あんなとこから覗いてたんですね」
「仲間外れで寂しかったんじゃねーの」
「書類溜めすぎたツケがまわったんだから仕方ないわよ」
私の下にいる連中が口々に言うのを聞いて、なんとなく理解した。
あの男はこの連中の仲間で、一人だけ出勤して仕事をしていたのだろう。休憩だかサボりだか知らないが、あの窓にこちらの様子を見に来たのだ。
男が見たかったのは、この連中でも私の枝に咲く花でもなく、あの子供だろう。子供が宴に加わることなく司令部の窓を見ていたのは、男を探していたのかもしれない。
子供は窓の向こうで椅子に座り、本来資料を広げる机に紙袋から出した弁当を広げた。男はその隣に座り、嬉しそうな顔で子供を見つめている。
弟は苦笑しながらコーヒーをふたつそちらへ運び、またこっちに戻ってきた。そのまま宴は二手に分かれ、あっちとこっちで続いていく。

窓の向こうに意識を向けると、二人の会話が少しだけ聞こえた。
「仕事終わったの?」
「まだ。きみが来てるのに、執務室になんか座ってられん」
「また中尉に叱られるぞ」
「休憩だ、休憩。ほら鋼の、口元にマヨネーズがついてるぞ」
「んー」
腹は減ってないと言ったくせに、子供はにこにこと弁当を食べている。それを見る男の黒い瞳はこの上なく優しい。
その瞳が子供から私に向けられた。
「きれいだな」
「うん」
「来年も一緒に見ようか」
「うん」
「再来年も、その次も」
「……うん」
「ずっと一緒に見たいね」
「…………」

真っ赤になった子供は、返事ができなくなって俯いてしまった。

毎年、ここで。
ならば、枯れてしまうわけにはいくまい。

私は精一杯枝を伸ばした。風に揺れて散る花弁が地面を桜色に染めていく。

「きれいね」
「ほんとに」
酔っぱらっていた連中も、私を見上げてため息をつく。

青空の下で続く宴は、まだまだ終わりそうになかった。



END,


微妙。

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