小話

□氷点
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数年後、ロイは昇進し大佐になった。北の山へ演習に行くことなどもうない。指揮官として東方司令部に勤務し、信頼できる部下を選んで自分の下に置いた。
穏やかとは言えないが、順調に出世街道を進んできた。それなりに成功したと言える。

それでも時折、なにかが頭を掠めるときがあった。

なんなのかは思い出せない。とても大事なもののように思うのに、それを思い出そうとすると体が動かなくなる。

『夢だよ』

囁かれた言葉は、誰のものだったんだろう。










「新しい部下?」
「はい。手が足りませんので、申請しておいたんですが」
副官であるホークアイ中尉のいつもと変わらない無表情を見ながら、ロイは眉を寄せた。能力を認め、性格を見極めた上で選んだ部下だけを集めているのだ。得体の知れない新参者など、信頼できない。
だが、手が足りないのも事実だった。腹心はたったの5人。地位が上がるにつれて増えていく仕事が部下たちに負担をかけているのは確かだ。
「本日午後、こちらに到着するようです」
「………どんな奴なんだ?」
「詳しいことはわかりませんが、まだ若い錬金術師らしいです。先日の試験に合格したそうで」
「ひよっこじゃないか。役には立ちそうにないな」
ため息をつくロイに、ホークアイは微笑んだ。冷たい無表情で知られるこの鷹の目は、意外と母性が強く優しい性格をしている。
「誰でも最初はひよっこです。大佐もそんな時期があったはずですが、お忘れになりましたか」
「忘れてはいないが……」

まただ。ロイはきつく寄った眉を隠すようにデスクの書類を見た。
新米の頃の演習。自分以外が皆死んだあの雪山。
それを思い出しそうになると、思考に霧がかかる。目眩に似た感覚の中で、誰かの囁く声。

『これは、夢だよ』

ぼんやりと霞む記憶の中にあるのは、金色だけ。

「………錬金術師なら地位は少佐か。やりにくいだろうが、教育は任せる」
「了解しました」
敬礼したホークアイが退室して行って、一人になった部屋でロイは息をついた。

思い出せないというよりは、思い出してはいけないような気がする。

「………夢、なのにな」

何度声に出して呟いても、あれを夢だとは思えない。けれど現実かと聞かれれば、頷くこともできないでいた。

なにがあったか、どうなったのか。誰があそこにいて、なにを話したのか。
思い出すことは許されていない。禁じたのはあの金色だろう。

色だけが鮮明で、輪郭もなにもかもがぼやけたその金色を、もう一度見たいとロイは願っていた。











「……はじめまして」

午後になってホークアイが連れてきた新人は、真新しい軍服の袖から指先だけを出して敬礼した。手を下ろせばその指先も完全に隠れてしまう。ずいぶんと小柄な体で、大きな目だけは挑戦的にロイを見つめてくる新人は、どこからどう見ても子供だった。
「エドワード・エルリックです。えーと、昨日拝命証をもらって。銘は鋼。よろしくお願いします」
使い慣れないらしい言葉を一生懸命に言う子供を見るホークアイの目は、参観日に自分の子供がなにか発表しているのを見守る母親のものになっている。
「………よろしく、と言いたいが」
若い新人だろうと思ってはいたが、これほど子供とは思ってなかった。
「きみ、年はいくつだ。親は軍に入ることを反対しなかったか?」
エドワードと名乗った子供は、それを聞いて肩を竦めた。
「親はいねぇ。軍は実力主義とか聞いてたけど、あんた外見で判断するタイプ?」
ずいぶんと生意気な子供だ。だが、こういう生意気さは嫌いじゃない。ロイは口の端で笑ってみせた。
「腕には自信があるようだな。それが口だけじゃないことを祈るよ」
「さて、どうだろね。あんた次第じゃねぇの?」
不敵に笑う子供を、ロイは気にいった。初対面で上司に向かって、指揮能力や裁量を問うなんて。こんな子は他にいない。

他にいないと言えば、この子の容姿もそうだろう。金色の髪に金色の瞳。女の子のようにも見える可愛らしい顔と白い肌。これだけの美人にはそうそうお目にかかれないのではないか。

金色。

霧に包まれた記憶を掠める、金色を思い出した。

『夢だよ』

夢。
極限状態が作り出した幻。

あれは幻かもしれない。だがこの子は現実だ。

ロイは自分を見つめる子供に、右手を差し出した。
「私はロイ・マスタング。きみの上司だ。せいぜい敬いなさい」
「ちぇ、偉そうに」
苦笑して同じように差し出してくる子供の手を握った。ひどく冷たい。
「きみ、水遊びでもしてたのか?」
「ガキじゃねぇっつの。元々体温低くて、手とか足とか冷たいんだよ」
むくれた顔で手を離す子供に、ロイは頷いた。
「では鋼の。ホークアイ中尉に仕事を教わってくれ」
「………鋼の?」
「錬金術師なんだろう?」
「………ああ、うん。そっか、なるほど」
子供はすぐに笑顔になった。
「へぇ、錬金術師同士だとそう呼び合うんだ。じゃ、あんたも銘で呼ばれたりすんの?」
「いや。私は長く軍にいるからな。指揮官だし、皆階級で呼ぶよ」
「なんだ、そうなの?じゃオレも大佐って呼ばなきゃなんねぇのか」
つまんねぇの、とぶつぶつ言う子供にくすくす笑ったホークアイが、行きましょうかとその肩に手をかけた。
「案内するわ。皆に紹介しなくちゃね」
子供はホークアイには素直に従い、そのまま二人で部屋から出て行った。

ぱたんと閉まったドアを眺め、ロイはため息をついた。可愛くてきれいで、生意気で口が悪い。とんでもない子供が来たものだ。これから先が思いやられる。
そう思いながらも口元が緩むのを抑えられず、ロイは仕事に集中しようと咳払いをして座り直した。

そこでふと気づく。
自分が錬金術師であることを、あの子はなぜ知っていたんだろう。

「………ま、来る前に聞いたのかもしれんしな」

あらゆる方面で有名な自分のことは、中央でも誰でも知っているから。

頭の片隅で警鐘が鳴っているような気がする。
ロイは無理やりそこから意識を離し、書類に書かれた文字に目を落とした。





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