リクエストとか

□待ってる
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驚いて固まったのは一瞬で、私はすぐに狭い休憩室を見渡した。

ハボックはいない。
それどころか、弟の姿さえない。
鋼のは一人で、所在なさげにホットドリンクのカップを両手で持って座っていた。

「鋼の」
思わず呼ぶと、鋼のはびっくりした顔をこちらに向けた。
返事を待たずに近づいて、テーブルに片手をついて鋼のの顔を見つめた。尋問するときの癖のようなそのポーズに、ちょっと苦笑が出た。
「ハボックはどうした。なにか約束があったんじゃなかったのか?」
「なんで知ってんの」
鋼のの声には咎める響きはなかったが、なんとなくばつが悪くて私は少し口籠もった。
「いやさっき話していただろう。狭い部屋だし、聞こえてしまうというか」
「ああ、なんだ。そーいや大佐いたよな」
鋼のは気にしたふうでもなく、ココアらしいドリンクを口に運ぶ。
「一緒にメシ行く約束してたんだけどさ。少尉達、居酒屋に行くって言うから。オレ酒飲めねぇし、また今度にするって言って」

……達?

鋼のはここまでを早口で言うと、ココアをひとくち飲んだ。
「で、ここでココアを飲んでるわけだ」
私がわざとからかうように言うと、鋼のはどうせガキだよとむくれてそっぽを向いた。
もっと怒ってくれていい。こんなに元気のない鋼のを見るのは辛い。
「……二人で行くのかと思ってたよ」
ことわりもせずに向かいに座る私をちょっと睨んで、鋼のはココアのカップに目を向けた。
「いや、オレが勝手にそう思ってただけだから」
金の睫毛が揺れる。何時の間にこんな大人っぽい顔をするようになったんだろう。くるくると変わる表情に、ますます目が離せなくなる。
「きちんと相談しなかったハボックが悪いな。明日きつく言っておこう」
無理やり目をそらしてそう言ったのに、鋼のが私の袖をいきなり掴んだからまた目を戻すはめになった。
「少尉は悪くないよ!オレ、ほんとに………」
鋼のは私の目を見つめて、どう言えばいいかわからない様子で数度口を開いて閉じた。

わかってる。一方通行な想いを持て余しているのは私も同じだから。

食事に行こうと言われて、喜んで来てみたらあまり面識のない他の連中も一緒で。騙されたような気になって引いてしまったことを酒を飲めないという言い訳で隠して逃げてきたんだろう、と推測はつく。

一方通行だからこそ、聞けないし言えないまま期待だけ膨らむのだ。
気持ちはよくわかる。
だが、私は鋼のにはそんな顔をしてほしくなかった。恋する相手にはいつも笑っていてほしいものだ。
だから諦めたのに。私では鋼のを笑顔にすることはできないから。

黙り込んだ鋼のを見つめて、私は考えこんだ。
ハボックに文句を言うのは簡単だが、それはこの子が許さないだろう。呼び戻してきたところで同じだ。
この子はすでにハボックとの約束は諦めている。
だからこんなところで一人でいるのだ。宿で待つ弟に食事をしてきたと言って不審に思われない程度の時間を潰すために。

時計を見ながら一人で暇を潰す鋼のをここに置いて戻ることはできない。
だが、私になにができるだろう。ハボックの代わりにはなれないのはわかっている。同情だなどと誤解されたら、この子はたぶんしばらく口もきいてくれなくなるだろう。それは困る。憎まれ口だろうと怒鳴り声だろうと、この子がこの街にいる間は声を聞いていたい。

私にあってハボックにないものは?なにかないか?



考えこんだ結果。

私は恐る恐る口にした。口調だけはいつも通りで。断られることを前提になけなしの勇気を振り絞っているとは気づかれないように。

「どうかね鋼の。食事なら私が奢るが」

言ってからこっそり反応を窺うと、鋼のは金色の大きな瞳がこぼれ落ちるのではないかと思うくらい驚いていた。
「アンタが……?なんで?仕事は?」
さすがに鋼のだ。驚いていても痛いところは確実に突いてくる。
私は夜中までかかりそうな書類の山と鬼の形相の中尉を思い浮かべた。鋼のの笑顔は想像できなかったのに、こういうのはすぐ浮かんでくる。
それを心の中で打ち消して、私は笑顔を作った。
「仕事はまだあるから、時間は遅くなるかもしれないが。電話すれば大丈夫なところがあるから、待っていてくれれば…」
つい、待っててくれと言ってしまった。鋼のがハボックを待っていたのが相当羨ましかったらしい。

何度も言うが、人はしたくなくても嫉妬してしまう生き物なのだ。仕方ない。

どうかな、と固唾を飲む気分で返事を待つ私に、鋼のは疑うような視線を向けて悩んでいるようだった。

やがて鋼のの視線が私を離れ、時計を見て窓を見て、少し人が減った休憩室を見回して。

やはりダメか、と自嘲気味に苦笑したとき。

「いいよ、待ってる」

信じられない返事を聞いて、今度は私が驚いた。

「なんて顔すんだよ。今の嘘だったんか?」
不審げに言われて、私は慌てて首を振った。
「とんでもない!まさかそんな返事がくるとは思わなかったから」
自然に笑顔になる私につられたのか、鋼のもにっこり笑った。
私がほしかった、その顔。
それを私に向けてくれるなら、一流レストランの特別ディナー時間外コースくらい安い出費だ。
やはり金は持つものだな、なんて思ったりする。ハボックにはこれは真似できまい。

鋼のが付き合う気になったのが淋しさからくるものか、それとも私の気持ちを悟っての同情からくるものか。私にはわからない。
もしかしたらハボックの代役みたいなものなのかも。鋼のにそのつもりはなくても、無意識でそう思っているのかもしれない。
今日はコイツで我慢するか、とかそういう気分が。
ないとも言いきれないだろう?実際私も鋼のを諦める淋しさで時々いろんな女性とデートを重ねたりするから。
そこまでしていてこの悪あがきだ。見苦しいにも程があるのはよくわかっているが、どうにもならないからどうしようもない。

好きで好きで仕方ないのだ、この子が。

気が変わらないうちに、と私は鋼のを促して立ち上がった。
「では、傍で待っていてくれないか。待たれていれば急ぎ甲斐があるからね」
それは嘘だ。鋼のが私を待っているという事実が夢に変わらないように、常に視界に入れて確認したいだけだ。
きっと仕事には身が入らないだろう。それでもいいのだ。今だけの幸福はあとからでは噛みしめることはできないのだから。
「でもまだココアが」
「中尉が美味しいお茶をいれてくれるさ」
「そうか」
鋼のはまたにっこりして、カップを捨てて私の傍に戻った。
「食事は勿論、二人だけだからね」
言わなくてもいいことを言ってしまった。案の定鋼のは耳まで赤くして怒りだした。
だが、嬉しかったのだ。鋼のがカップを捨てに行ったあと、また私の隣に戻ってきたのが。



このまま死んでも悔いはない、と思いながら、私は鋼のと並んで、執務室へと引き返した。






END
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