小話

□暑中お見舞い申し上げます
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お中元特設会場、と書かれたポスターに従ってエレベーターを降りたロイは、目の前の光景に呆然とした。果てしなく並ぶ棚に、見えやすくディスプレイされた商品が陳列されている。そのまわりに押し合いながら群がるのはほとんどが主婦。ちらほらと見えるサラリーマンらしい男達は隅に追いやられてぽつんと妻の帰りを待っている。多分この女の群れに飛び込むのが嫌なんだろう。
ぎゅうぎゅうに混み合う店内をぐいぐいと突き進み目的の棚を物色しては次へと移動していく逞しい女性達に、ロイはすっかり怖じ気づいた。どうしよう、とエドワードを振り向けば、金色の頭はどこにも見えない。
「は、鋼の?」
きょろきょろと探すと、人波の向こうに赤と金がちらりと見えた。
「鋼の!」
大声で呼ぶと、見えたあたりからか細い声が答える。
「た、大佐ー!」
「鋼の!今行くぞ!」
人波をかき分けようとしたが、女性ばかりの波を強引にかき分けるのは気が引けた。戸惑っているうちに背後のエレベーターが開き、また新しい人波がどっと押し寄せて来る。
「大佐ぁー!」
軽くて小さい子供はあっという間に波にさらわれていく。大人ばかりの中にいると頭の先すら見えなくて、ロイは慌てて波に飛び込んだ。
「鋼の!」
「たーいーさー!助けてー」
悲鳴のような声を頼りに必死に波を掻い潜り手を伸ばした。化粧と香水がこれでもかと鼻を攻撃する。溺れて死ぬかもと思った頃、ようやくロイの指の先をエドワードが掴んだ。

女性達の隙間からエドワードを引っこ抜き、腕にしっかりと抱きしめて息を切らして波を抜け、階段の側にたどり着いた。喫煙所が設けてあってベンチにはサラリーマン達がぼんやりと腰かけている。そこへエドワードを座らせ、ロイはようやく息を吐いた。
「大丈夫ですか」
先に座っていたサラリーマンがタバコを吸いながら声をかけてくる。エドワードはぐったりしたまま頷いた。
「お中元商戦は今がピークですから。うっかりあそこへ入ると無事では出られませんよ」
そう言うサラリーマンの服は袖が破れていてボタンが2つなくなっている。頭はくしゃくしゃ。顔にかけている眼鏡にはヒビが入っていた。
「………毎年、こうなんですか?」
ロイは今抜け出てきた波を振り返った。会社帰りのサラリーマンが主婦の波に揉まれて悲鳴をあげていたが、そのうち見えなくなった。
「最近は通販で済ませる家も多くなってきたみたいですね。昔よりは減りましたよ」
「減ったんですか……これでも…………」
「あなた初心者ですね?今日のこの混雑など、婦人服のバーゲン会場に比べればまだまだ…」
サラリーマンはため息をつきながら呟くように言った。目は遠くを見ている。老けて見えるが、意外とまだ若いのかもしれない。
ロイはエドワードを見た。子供はベンチにもたれかかったままロイを見上げ、怖いと囁いた。

二人は諦めて階段を降りた。


すぐ下の階は寝具売り場だった。会場ほど品揃えはないが、お中元用に包装や発送もできますと書いてある。エドワードはそこで薄いブランケットを人数分買った。それほど混雑もしていなかったが、エドワードの手はロイの手をしっかりと握りしめていた。








「あの…ごめんな、今日」

食事がすんで宿へ送る途中、公園で立ち止まったエドワードが俯いて言った。
「なにが?」
「デパート。あんなに混んでるなんて思わなかった」
「ああ。いいよ、貴重な体験ができたからね」
ロイは優しく笑った。そう、貴重な体験だった。手も触れることができなかったこの子を抱きしめることができたし、そのあとデパートを出るまでずっと手をつないで歩けた。おろしたてのシャツは皺だらけで口紅や白粉といった化粧の残骸と香水の匂いがこびりついているが、そんなものはどうでもいい。ロイにとってはとてつもなく貴重な体験だった。あとで手帳に書き留めておいて毎年祝わなくては。
「それに、オレ…みんなのばっか考えて、あんたになんにも買ってねぇし。おまけに飯まで奢らせちゃって…」
「いいよそんなの。気にしないでくれ」
金で買えない体験だったんだから。ロイはエドワードの頭を撫でた。夜の公園の街灯は薄暗くても、金の髪は輝いている。発光してるんだろうか、とロイが真剣に考えたとき、エドワードが顔をあげた。

「ちょっと屈んでよ」

言われた通りにロイが身を屈めた。エドワードの顔が耳元に近づいてくる。

「今日は、ごめんな。ありがとう」

小さな声だがはっきりと聞こえて、ロイは苦笑した。

律儀だなきみは。
そう言おうとしてエドワードのほうを向く。

エドワードの顔はまだ耳元からあまり離れてなくて。

振り向いたロイと、ロイを見ていたエドワードの唇が掠めるようにぶつかった。

「あ」

不意に触れた柔らかい感触に驚いたロイがエドワードを見ると、エドワードは顔どころか首や耳まで真っ赤になっていた。

「…………今の……」

唇を両手で押さえて震えるエドワードに、ロイはつられて自分の唇に指を当てた。

残る感触に唇が疼く。






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