虹色世界の流離譚

□Stage 5
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月子は声を荒げたくなった――それは、違うのだと。

自分は、感謝されるような立場でも何でもないのだ、と。
礼を言われることに猛烈な違和感を覚えながら、月子の唇は凍りついたまま動かなかった。

「リオさん、怪我はもう大丈夫なんですか?」

弦稀がイレシスの背の向こうのリオへ声をかける。

リオはひとつうなずき、自分の首回りをそっとなでた。〈デミウルゴス〉の少女に傷つけられたはずの痕は、きれいさっぱり消えていた。

「ええ、全く何ともないんです。でも、祖父も彼女も、まだ寝ていろとうるさくて」

リオは苦笑を浮かべ、端に控えている少女に目をやった。いきなり話の中心に据え置かれた少女はびくっと肩を震わせ、耳元まで真っ赤になってうつむく。

「あの者は、リオと将来の契りを交わした仲でして。さっきから、リオの側を離れようとしないのです」

「ちょ、長老様……!」

顔を真っ赤にして非難めいた視線を向ける少女に、イレシスは、はははと声を上げて笑った。

「こんなに献身的な子が嫁に来るとは、お前も幸せ者じゃのう、リオ」

「からかわないでくださいよ、長老」

しかし口ではそう言っても、まんざらでもなさそうなリオだった。

温かみのある会話を耳にしながら、月子はふらりと立ち上がる。

「ツキコ様?」

問うたのはリオ一人だったが、その場にいる全員へと、月子はなるだけ自然を装って答えた。

「ちょっと、気分が悪くて……外の空気でも吸ってきます」

「大丈夫ですか? 早くお前の力でツキコ様の傷を……」

呼びかけられた少女は、立ち上がって月子へ歩み寄ろうとした。

「平気です! 少ししたらすぐに戻ってきますから!」

逃げるようにテントの外へ出ると、不思議そうにこちらへ目を向ける〈シュビレ〉の民の間をかいくぐり、草原をひたすら進んだ。

果ての見えない地平線。背丈の低い草と、広がる空。

緑のこの光景から逃げることはできず、どこにも行けないのはわかっていた。それでも今だけは、すべてのしがらみを捨てたかった。

すぐ後ろに、誰かが追いかけてくるのを知りながら、月子はただ小走りで逃げ続けた。





どこに行っても、背丈の低い草と空ばかりで、緑の海原は憎たらしいほど彼方まで開けていて、自分の涙を隠してくれる木陰すらない。

月子は走りつかれて、膝から落ちるように座り込んだ。後ろからついてきた足音も、同時に止まるのがわかった。
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