虹色世界の流離譚
□Stage 5
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カエンは、手のひらで火の球を練り上げる。人の頭くらいの大きさのそれは、カエンの顔を橙色に照らし出す。
両の掌に支えられるようにして宙に浮かぶ火を、水面のような模様がゆらめく青い壁へと、一気に叩きつけた。
火が、壁を焦がすはずだった。だが、壁は何の衝撃も受けず、傷ひとつつかず、カエンが作り出した火の珠は、まるで嘘のように消滅した。
「だめ、か……」
何度目かの脱走失敗。疲れも合わさって、大きなため息が出てしまう。
「お兄ちゃん、もうやめて。きっと無駄よ。私とお兄ちゃんの能力を知っているあいつらが、火で燃えやすいところに閉じ込めるはずがないわ。それに怪我だって、完全に治ってないのに。もう無茶はしないで」
包帯がきつく巻かれたカエンの肩を、マリンが労わるようになでた。その手をそっと押し包み、カエンは苦しい思いを吐きだす。
「そうだな。確かに俺のやってることは無駄かもしれない。でも、そう呑気なことを言ってられる状況じゃないんだ。早くここから脱出して、他の〈イリスの落とし子〉たちとおちあわないと。
それに、俺たちがここにとらわれているせいで、いろんな人が身動きがとれなくなっているかもしれないからな。速いとこ、自由の身にならないと」
「お兄ちゃんが急ぎたい気持ちはわかるわ、でも……」
「マリン」
少女の言葉を、カエンは優しく、けれど有無を言わさずさえぎった。
「心配してくれてありがとう。でも今は、ただ大人しくしているだけじゃだめなんだ。わかってほしい」
マリンは何か言いたそうだったが、無言でうつむき、カエンの背から手を離した。カエンは、マリンの頭をそっとなでる。
「無茶をしなきゃいけない時なんだ。ごめんな、マリン」
そういったカエンは、再び青の光がゆらめく壁をにらみつける。
〈デミウルゴス〉にとらわれ、この部屋に放り込まれてから、どれだけの日数が経ったのか、定かではない。
いずれにしろ、仲間の助け(とは言っても、七部族のうち誰が身動きできるのかすら不明なのだが)を待つよりかは、脱走を考えたほうが効率がいい、というのが、カエンの考えだった。
傷口も安定してきているし、治療は受けさせてもらっているから、体力は回復しつつある。カエンはそれを実感しているからこそ、脱走という案を唱えるのだ。
そうやって、前を向いて行動しようとする兄に、マリンは反対できなかった。
いつもそうだった。正しくて強い兄に、マリンは何も言えない。
七年前、この世界に連れて来られた当初、二人してさんざん泣きわめいていたはずなのに、最初に立ち直ったのは兄だった。
『マリン、もう泣いちゃいけないんだ。僕達は、ここで生きていくしかないんだ』