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014.「天体」
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片割れの事を想った瞬間、頭に鋭い痛みが走り、キレネンコは思わず呻いた。
声に驚いたのか、隣人が慌てて体を離し、顔を覗きこんでくる。


「…、ネンコさん、」


そっと頭を撫でられながら、痛みが治まるのを待って瞼を開くと、そこには涙で濡れた隣人の茶色い目があった。

そこに有るふたつの、赤い光。

星、だと思ったそれは、隣人の目に映った自分自身の瞳だった。不意に、片割れの名前を呼びそうになって口を噤む。
隣人は震える声で言葉を紡いだ。

「…おれは、こんな、奪い取るみたいな方法じゃなくて、…」

奪い取る、というその言葉の意味が分からずに黙っていると、隣人はどうしようもない泣き顔のまま、震えたままの手で頬に触れてきた。


「あ、なたがっ、好きなのに…こ、んなふうにしか、…でも、好きだから、おれは…あなたが、欲しくて、…」


途切れ途切れにそう言葉を紡いでいる隣人の目からは大粒の涙があふれて、また星のように降り注いでくる。



「どこか遠くで、…あなたを、追いかけてくるものから、見えないように隠して、そうやって、…」



落ちてくる粒はきらりと光って、宝石のように硬質な物に見えた。再び反射的に目を閉じた時、瞼の裏に赤い星がふたつ、並んで見える。

かつては片割れの目の中にあった、ふたつの赤い星。この瞳。
今は、「他人」である隣人の目の中にある。









「…あなたを連れて、逃げられたらいいのに…、」








隣人の目から降り注ぐ滴は流星のように、ぽつりぽつりと瞬いている。その目の中にぼんやりと映る自分自身の姿は、そんなはずがないと分かっていながらも、かつてたったひとり、心の底から愛した人間と重なっていく。

思わず手を伸ばし、隣人の頬を挟んで茶色い天体を覗き込んだ。

驚いて見開かれたその目の中には、やはり自分自身が持つ赤い星がふたつあるだけで。永遠に失われてしまった姿を探す事がどれだけ愚かで、どれだけ空しい事なのか。それを理解しながら、けれど。

片割れが守ったこの命が今ここに在るのなら、その魂も未だここにある、と。

そう言い聞かせている時点で、もはやそれは「失われてしまったもの」であると再確認しているだけなのだ。
その事実を自覚し、また心がぎゅっと塞がっていく。


自分は「奪う」側であり、「奪われる」側になった。
そうなる事で、それまで知り得なかった色々な事を知ったけれど、自分がその答えを欲しがったわけではない。半ば強制的に押しつけられてしまった「答え」だ。

けれど今、隣人の言った言葉でふと、もうひとつの違う答えにぶつかった事に気づいた。

奪うか、奪われるか。

他人との関係性について、そのふたつしか無かった自分の世界がいかに狭い物であったか。今まで出会ってきた人間の中に、同じような思考を持った人物が居たのかどうか、それはわからない。知った所で自分が彼らと共に「そう」したとも思えない。環境がどう、というよりは、この体に与えられた「力」が他のどこかで何かに使えたのかどうか、甚だ疑問だからだ。

ただ、あの頃の自分達がその選択肢を持っていて、全ての力を使ってそれを選んでいたとしたら、あるいは。








逃げられた、だろうか。

この運命から。











隣人の、大きく潤んだ目には相変わらず、ふたつの星。

かつて合わせ鏡のように、四つの星が存在していた小さな天体は、今や半分が失われ、そしてもう永遠に戻っては来ない。

けれど自分には、このふたつの星を守る義務がある。








キレネンコは手を伸ばし、隣人の頬を包んだまま引き寄せて。




ふたつの赤い星が煌めく、茶色い天体に。

そっと、口づけた。


























2010.09.07
逃げても逃げても闇に追われる事が分かっていて、それでもかたくなに手を取り合って逃げる事というのは多分、立ち向かうよりもずっと辛くてずっと悲しい。
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