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006.「卒業」
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直立不動なその姿は、狩りを終えた獣のように鋭く尖っている。どこかで見たような気もするけれど、全学年の生徒の顔を覚えているわけもなし、あんな奴居たかな、と疑問に思っていると、男は何かに気づいたように突然、ゆっくりと顔をあげて空を仰いだ。
黒髪が額の横へ流れて行く。僅かにその表情を窺う事が出来た。

予想に反して、柔らかな。

空を見上げながら右手の甲で唇の端に滲んだ血を拭い、穏やかに目を細めている。
その顔は空を慈しむような優しい表情で、今しがたそこで殴り合いでもしていたのだろう人間のそれとは思えない程に、穏やかな空気を纏っていた。

背筋を伸ばし、顎を持ち上げ、真っ直ぐに空を見つめる瞳。凛としたその立ち姿には何ものをも寄せ付けない鋭さがあるのに、どこか繊細で壊れそうな揺らぎさえ感じる。




綺麗だな、と思った。




ただ、何故彼がそんな顔をするのかが分からず、コプチェフは彼の目線を辿って空を仰ぎ見た。

かなり驚いた。

思わず呟く。













「虹…、」












薄らと滲む、七色の光。

いつの間にか、ドス黒い雨雲の隙間からは太陽の光が零れ始めていた。それでも今だに降り注ぐ小雨にその光が反射し、きらきらと輝いている。

虹なんていつぶりだろう、と思った。

卒業という今この時にそれを見る事になるなんて、そこに意味を求めずには居られない。けれど同時に、もしかしたら空を眺める事自体が久しぶりだったのかもしれない、とも思った。余裕が無かったとは言わない。ただ、あまりにも毎日が平凡過ぎて、昨日とは違う空なのだという事に気づかなかっただけの話だ。


突然、ああ俺卒業するんだ、と自覚する。


過ぎてみればどんな事も、あっという間。いつかこの瞬間の事を思い出して、「あの時虹を見てさ、」なんて誰かに話す日が来るんだろうか、…そう想像して、けれど必ずしも自分に未来が訪れるとは限らない、という現実にぶつかる。

悲観的な意味ではなくて、自分がこれから立つ所というのはそういう場所だから。

正義を司る、というのは口ばかりで、ミリツィアにだってろくでもない奴らが居るだろうし、それをどうこう言うつもりはない。人間である限り、悪人と善人に分ける事など出来るはずもないのだし。全員が全員、誰かの為に生きるなんて無理な話だろう。それこそ綺麗ごとでしか無い。

自分は善であり、悪だ。正義、なんてくくりに入る事が出来るほど立派な人間でもない。それでもここまで来た以上、やれるだけの事はやろうと思う。例えば一般市民の為、とかそういう事ではなくて。

自分の為に。
そして自分と触れ合った「誰か」の為に。
また、その「誰か」が触れた、「誰か」の為に。そうやって繋がっていく、自分の身の周りにある、世界の為に。


ふと視線を下ろすと、そこに黒髪の男の姿はもう無かった。

顔はよく見えなったけれど、せめて声をかければ良かったな、と思う。
もう一度顔を上げて空を見上げると視線の先では、さっきよりも少し薄くなった虹が、自分を見下ろしていた。

きっとあの男がそこで空を見上げていなければ、自分がこの虹を見る事は無かっただろう、と思うと妙な巡り合わせを感じる。

彼が今の志を違える事なく、ミリツィアの一員として生きてくのであればきっと。

またどこかで巡り会うに違いない。
何故だかぼんやりとそんな事を思った。










どれだけ名残惜しくたって。
どれだけ離れ難くたって。

歩きださなければならない時、というのは誰にでも訪れるから。

それまでそっと自分を包み込んでくれた柔らかな殻に背中を押されながら、全ての記憶を腕に抱え、真新しい靴を履いて。


これから歩いて行くこの道を、なるべく遠くまで見渡せるように。





顔を上げて、瞼を開き。


行こう。



















2010.08.13
わりときっちりした過去話になってしまったんで、短編の方に入れようかと思ったのだが…テーマが完全に「卒業」なのでやはりこちらへブチ込みました。オリキャラ出張っててすみません……涙
これでも運狙と言い張る岡枝!笑

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