365Themes

006.「卒業」
2ページ/3ページ


晴れの日だというのに、小雨がぱらついているどんよりした空を見ているとどうにも、卒業を祝福されているようには思えない。ともすると喜びよりも切なさの方が勝ってしまいそうな天気だ。
広場に充満している浮足立ったような空気と、その裏に潜むひっそりとした別れの空気。けれどそれぞれが言葉を止める事なく早口で捲し立てているのは、きっと直視出来ない感情が各々に有るが故、なのだろう。

卒業生と在校生が入り乱れる、校舎前の広場。

入学した時はどうだったとか、あの課外授業は地獄だった、とか。ほとんどが思い出話になってしまうのは、卒業という特殊な状況下では当然の事かもしれない。何しろ、これから先自分達は本当の意味でバラバラになるのだから。
それまで四六時中顔を突き合わせていた仲間達と離れ、それぞれの赴任先へと旅立つ。死ぬわけでもなし、会おうと思えば会う事だって出来るけれど。それが現実的にはなかなか難しい事だ、という事ぐらいは考えなくても分かる。
だからと言って、ここに立ち止まっているわけにもいかないのだから、もう行くしか無いのだ。

苦楽を共にした仲間たちと離れ、「学生」の時期を終えて「社会人」になる事。

そこに不安を感じないと言えば嘘になるし、上手くやっていけるかなんてそれこそ、飛び込んでみなければ分からない。
警察学校を卒業するという事は、傍目から見れば自分はミリツィアとして認識されるという事だ。卒業したばかりの新米なんです、なんて言い訳は、一般市民の前では通用しない。
今まではどこか他人事のように感じていた事故や事件も、これから先はリアルに自分へ降りかかってくる災難にもなりかねないのだ、…という事実が目の前にぶら下がっているにも関わらず、自分の中から抜けきらない甘えがそれを「現実」として理解する事を邪魔してしまう。

新しい環境への期待も有るにせよ、どちらかと言えば不安の方が強いというのが正直なところだった。


「おーコプチェフ、さっき声かけてきたあの子、何だって?」


ぽん、と強い力で肩を叩かれる。
振り返らずとも、それがずっとつるんできた来た友人の声だと分かった。肩にかかった力がいつもより若干強いのは気のせいじゃない。

「んー、ずっと好きでした、って」
「っか〜!お前モテモテじゃん!ムカつく!…で?どうなのよ?どの子にすんの?今日だけで5人は来たよね?もう学校生活も終わっちまったし、そろそろひとり選んどいた方がいいんじゃねぇの?ん?」

グリグリと脇腹を肘で抉られ、結構痛い。

入学式の時たまたま隣の席に座っただけのこの男が、まさか最後まで友人として自分の隣に居るなんて考えもしなかった。偶然とは怖い物だ。
飽きるほど繰り返してきた言葉を、「こういう会話も最後なのかな」なんて思いながら言い放つ。

「あのなぁミロン、好きでもないのに俺は付き合ったりしないって。何回言わせれば気が、」
「お前最後までカタい!もったいない!俺だったら全員と付き合う!」

遮られた言葉の先が宙に浮くのもいつもの事だ。

「そんな事言ってっから振られるんだよ」
「うっわ…まだ傷が癒えてない俺に対してその言葉…酷い…コプチェフ君鬼畜…」
「はいはいごめんごめん」

大げさに落ち込んで見せるミロンを軽く受け流す。
下らない言葉の応酬も、稀にあった本気の喧嘩も、これから先は「懐かしい物」に変わってしまう。それを知っていてお互いに、そこへは触れない。辛気臭い空気なんて御免だった。目出たい門出に、しみったれた言葉なんて吐きたくない。

「コプちゃん、タバコ1本ちょーだい」
「ちゃんはやめてくれる?」

ミロンの言葉に呆れながら、「お前たまには自分で買えよ」と苦笑しつつ胸ポケットを探る。小雨で湿っている制服は、上から触れると気持ちが悪かった。こんなとこにタバコ入れといたら湿気るかな、と思った矢先、そこがカラである事に気づく。

「…あ」
「んっ?」
「…廊下の窓んとこに置いたまんまだ」
「えー!俺の一服タイムをどうしてくれんの!」
「いや、俺のタバコなんだけど」

つい10分前くらい。
卒業式を終えた後、ホールから野外広場へ向かう途中、見た事の無い女子生徒に呼びとめられて少し話をした。ついさっきミロンが突っ込みをいれてきた「あの子」だ。

勇気が無くてずっと見ているだけだったけれど、これで最後だから言おうと決めたのだ、と。

ずっと好きでした、と。

ありがちな展開ではあるけれど、女の子が人前で誰かを呼びとめて告白するなんて、相当勇気の居る事だろうと思う。しかし、自分にとっては初対面な状態だったせいで、上手い言葉が見つからなくて。
結局、「気持ちは嬉しいよ、でも応えられない。ごめんね」というありきたりな台詞を投げるしかなくて。けれど彼女が泣きながら「ありがとう、充分です」なんて言うから、その健気な様子に胸がギュっとなった。

思わずそっと、抱きよせて。
慰めるようにその背中を、しばらくの間撫でていた。

応えられなくて申し訳ない、という気持ちと、それでも君の気持ちはちゃんと伝わっているよ、という意思表示の為にそうしたのだけれど、多分見る人によってはそういう行動が「タラシ」のレッテルを貼る理由になるんだろうな、とも思う。
最も、それに気づいたのはつい最近なのだけれど。

とにかく、その時に手に持っていたタバコを廊下の窓辺に置いて。
そのまま忘れてしまったらしい。

「取ってくる」
「うぃーす。俺今日の『卒業おめでとう飲み会』に参加する奴この辺りで集めてるわー。お前も誰か見かけたら声かけといてくれな、モテモテコプちゃん」
「だーからちゃんは勘弁してよ…」

軽く手を上げてミロンと別れ、卒業生と在校生の波に逆流しながら廊下を歩く。相変わらず湿ったままの制服が足に纏わりつき、動きにくい。晴れたからどう、というわけでもないのだけれど、やはり最後の日くらいは綺麗に晴れて欲しかったなぁ、なんて思いながら窓越しの空を見る。

この校舎から見る最後の光景が暗く淀んだ空なんて、なんだかちょっとばかり悲しいような、悔しいような。

最後の学生生活は、職種が職種なだけに授業内容も濃く、訓練もかなりキツい物ではあったけれど。やはり充実していた事は確かだし、もちろん楽しくもあった。だからこそ天気の事なんかでこんなにナーバスな気持ちになるんだろうな、と思うと、今この瞬間が過ぎて行く事が酷く惜しい。

タバコを置き忘れた廊下は式が行われたホールにほど近く、片付けに入った業者の人間や教師の姿がちらほらと見えるけれど、生徒の姿は無い。
窓の縁を見て歩くと、置いた位置と同じ場所にそのままの形でタバコが置いてあった。

ベラモナカナール。

何しろ学生の身分だと金が無く、かなりの安タバコだ。フィルターの代わりに紙パイプがついているそれが安物の味なのは否めない。けれど個人的な好みを言うのなら、その安っぽい匂いが嫌いではなかった。
ミリツィアの一員として順調に仕事が回せるようになったら、吸うタバコの銘柄ももう少しグレードアップするのかな、なんて思う。

湿った胸ポケットにタバコをしまい踵を返そうとした時、視線の先にある開いた窓の外、大体50メートルほど先の茂みに誰かが立っている事に気づいた。

こちらに半分背を向ける形で立っているその男の背中には、草の切れ端や泥がついている。制服を着ているところを見ると、生徒なのは確かだった。
こんな天気の日に湿った芝生で寝転んでいたとは考えにくいし、かといって長居するような何か珍しい物がその茂みにあったかと問われても思いつかない。むしろ自分が今目を向けているその場所は、人が寄り付かない事で有名だった。

人目につきにくく、しかしある程度の広さがあるそこでは、教師の目を盗んだ生徒同士の喧嘩が発生していたからだ。

その男の他に人影は無いけれど、やはりそういった事に巻き込まれた類の話だろう、と思う。卒業生であろうが在校生であろうが、あの場所へ行く事が何を意味するかという事を暗黙の了解として心得ているのだから。

時として力で相手を抑えつける事が必要となる時も有るのは認める。殴らなければ分からない人間も居るのだし、無差別に人を傷つけるような相手の行動を尊重する必要もない。そこに明確な意思があるのなら、持っている力を誇示する事が場を収める為の有効な手段となる場合だってあるのだし。

真っ直ぐに、背筋を伸ばして立っているその男の背中を眺めながらコプチェフは、それが同級生だとするならミロンの言っていた『卒業おめでとう飲み会』に呼ぶべきかどうか、という事を考えていた。

我ながらお人よしだ、と思う。

あの場所に居るという事は、それなりに問題行動を起こす人間である事は必至だ。飲み会に呼んだ所で暴れ出すかもしれないし、身近な人間ではない分何をしでかすか分からない。そんな人間を呼んだ所で、周りが喜ぶわけもない。
コプチェフは自分の思考を切り替えた。
呼ぶか呼ばないかはまた別の話として、せめて在校生なのか、同級生なのかぐらいは判断しよう、そう思った。単なる興味だ。
少し頭を横へ傾け、その男の顔が見えやしないかと探りを入れるけれど、目から得られる情報はかなり限られている。ただ、もしかしたらそれだけで充分かもしれない、と思う程にその光景は印象的だった。



雨にしっとりと濡れた黒髪。少し乱れた制服。握りしめられた拳。真っ直ぐな背中。こちらからではちょうど前髪に隠れて、その目を見る事は出来ない。

引き結ばれた唇の端には血が滲んでいた。










次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ