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047.「キズナ」
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それから5年という月日を、音信不通のまま過ごしてきた。
自分からはもとより、彼からの連絡を待つ事など出来るわけもなかった。そもそも、これで最後だから、という気持ちで彼の唇に触れたのだから。
その覚悟を、したのだから。

思惑通り、あっさりと途切れた糸。

別れ際に彼がどんな顔をしていたのかは知らないけれど、どの感情をぶつける事もなくただ去って行ったその事実を見る限り、きっとこちらの覚悟に気づいていたのだろう、と思う。

自分達は、6年を共に過ごした。
それこそ、命のやりとりを何度も越えてきた点においては、何ものにも代え難い絆が自分達の間にはあった。

だからこそ。
彼は気づいていた、と思うのだ。

それならば何故、あの時黙って去っていた彼が、手紙という形で切れた糸を繋ぐ気になったのか。
コプチェフには分からなかった。
ただ、彼を当時の性格のままこの現実に当て嵌めるなら、5年も前の事を今更手紙で責め立てて来るとは思えない。とはいえ、「あの時の事は気にしなくていい」なんて言ってくるわけもない。
それこそ今更、だ。

もしかしたら彼は、あの時の事をもう忘れているのかもしれない、と思った。でなければ、あんなふうに別れた元相棒へ手紙を書くなんて考えられない。

けれどそれでも違和感が拭えないのはきっと、彼は元々手紙なんて書く性質ではない、…という事がひっかかるからだ。

結局、きっと「手紙」という手段が、彼にとって一番都合が良かったのだろう、という事に落ち付いた。
そうまでして彼が伝えようとする事が何なのか、今は思い当たらないけれど。彼の筆跡で手紙が届いているのは事実なのだし、万が一にも緊急、という事だってあるわけで。

手紙を開く為の口実を探しているみたいだ、と思いつつ、コプチェフは意を決して封筒を手に取った。

微かな重みのある、一切の無駄が無いその封筒。
見紛う事なく彼の筆跡であるその文字は、ただ淡々と自らの名前を記している。

少し迷ってから、乱雑に封を切った。まるで自分の不安や焦燥を誤魔化すような、荒っぽい開き方だった。

そっと取り出した白い便箋には、「久しぶり」の挨拶や社交辞令のような言葉は一切無く。

「コプチェフへ」から始まり、ただ淡々と事実が綴られていた。

1枚の紙に綴られている彼の「今」は、どこか非現実のように穏やかな膜に守られたまま、自分の内部へとゆっくり浸透してくる。
文字には少し癖があるけれど、そこに書かれている文章は真っ直ぐで淀みなく、こんな文章が書けたんだなぁ、いや書けるようになったんだなぁ、なんて感心してしまうほどだった。
短気で無鉄砲だった、あの頃の彼からは想像出来ない。



手紙の内容は、簡単に言うならこうだ。

現在は幹部の下で狙撃手育成を任されている、という事。
今は左手を負傷し、任務には出られないが病院へ通ってリハビリをしている、という事。けれどその事に関しては全く心配する必要は無いので、余計な気をまわすな、という事。

そして、その負傷を機に、今付き合っている女と結婚する事にした、という事。



驚くほどに、自分が受けた衝撃は少なかった。これならば手紙を見つけた時の方がいくらか動揺したな、なんて笑える程、自然にそれを受け入れる事が出来ている自分が居る。

それどころか、正直ほっとした。

式は親族だけでやるという事と、祝いの類は困るからよしてくれ、と書いてあるのが彼らしいと思う。5年も経っているというのに、面と向かって「おめでとう」と言われればバツが悪いような顔をするだろう彼の、その表情が鮮明に浮かんだ。

思わず笑ってしまって。
それから、残された最後の部分を読み進める。

長い間連絡出来なかったけれど、5年前異動になった時、お前に伝える事が出来なかった言葉を、どうしても伝えるべきだと思えて手紙を書いた、と。

心臓が跳ねる。
けれどその下には、自分が思っていた事とはまた違う内容が書かれていた。実に彼らしい、一寸の曇りもない言葉だった。



お前とコンビを組んでいた事を、今でも誇りに思っている、と。

そして。
ありがとう、とも。



プラシャーイチェ、という言葉で締めくくられているその部分を指でなぞって、コプチェフは大きく息を吐いた。


説明し難い感情だった。


要約するならば、結婚の報告である白い便箋。
自分がずっと抱えてきたあの日の出来事は、やはり彼の中にはもう存在していないのかもしれない、と思う。それか、最初から大した事ではなかった、…とか。

良かった、と思う反面、あの頃自分が持ち切れずに投げ捨ててしまった、鮮やかで眩しい感情が、まるで幻だったかのように思えて辛くなる。


幻、などではない。
今でもまだ、あの時の。
想像していたよりも細く、しなやかだった彼の背中や、ひんやりとした、あの。

唇の感触を。

こんなにも、鮮明に。



不意に外気の熱さが肌に当たる感覚が蘇り、現実に引き戻される。
長い廊下から宿舎の出入り口を見ると、陽はようやく緩やかになってきたようだった。けれど未だに昼間の名残りを引きずって、ゆるやかな熱風が吹き込んでくる。

脇に挟んでいたカートンを思い出した。
何の脈絡もなく、部屋へ戻って一服しよう、と思った。

肩の荷が下りたような、けれど抜け殻になったような。満たされたような、喪失したような。相反したあらゆる感覚を背負って、とにかくこんな所に突っ立っていても仕方無い、という結論に至って。



丁寧に手紙を封筒に仕舞おうとした時、気付いた。








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