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047.「キズナ」
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彼からの手紙が届いたのは、猛暑が続いた3日目の夕方だった。


今日だけで「勘弁してよ」という言葉をもう、8回は言ったと思う。ついさっきのそれは、愛飲のタバコの残りがあと1本だという事に気づいた時だ。

昨夜から今朝にかけて、それと昼間から夕方にかけて。

会えなかった時間を埋めるようにお互いを奪いあった末、深い眠りについた彼女の寝顔を眺めつつ、その頬に触れながら、こんな時に限ってタバコが切れるなんて、とコプチェフは思った。

久し振りの休みなのだから、愛しい恋人と片時も離れずに居たいと思うのは当然な事だ。けれどそれと同じくらいに、残り1本となった「それ」も自分にとっては生活の一部であって。

しかし自業自得だ、と思い直す。

あまりにも暑かったこの3日、パトロールの最中にタバコの本数を数えながらも、空調のきいたラーダから降りる気には毛頭ならず。おまけに上がりは午前様。
現在の相棒である後輩の男に、「これを期に禁煙なんてどうすか?」なんてからかわれながらも、なるべく本数を減らしつつ居たのだけれど。
ああ、あの時買いに行って居れば今、この生ぬるいまどろみから抜け出さずに済むのに、なんて思ってみて。

しかし現在起こっている、自分の生活において何よりも辛い「ヤニ切れ」を、無かった事にするなんて自分には出来るわけもなく。
例え彼女唯一の願いが「禁煙」だったとしても、そこだけは譲る事が出来そうもない。
きっと買いに行く事を知られたら、また彼女は拗ねてしまうだろうから。まだ穏やかに眠っている間に行ってきてしまおう、と目論んだ。
もう5時近いというのに未だにジリジリと照りつけてくる日差しの中、近くの売店まで、命の次の次くらいに大切なタバコを買いに。



その帰りの事だ。



宿舎に戻って手の甲で汗を拭った時、出かける時には無かった物がポストの中に入っているのを発見した。部屋番号が記されている銀色のボックスが並ぶ廊下で、自分のポストから飛び出している白い封筒。

茹だる様な暑さを、一瞬だけ忘れた。

ポストから飛び出した封筒の裏側に、良く知っている文字を見つけたからだ。




少し右上がりな文字。

かつて相棒だった男の。




6年ほど組み、あらゆる事件へ引っ張り出されるほどの「名コンビ」と呼ばれた自分達は、彼が狙撃手の「教育係」に抜擢された事でそのコンビを解消するに至った。
自分と彼が31歳の時の話だ。

それから、もう5年。

彼は教育係になると同時に、それまで苦楽を共にした署を離れ、大都市にある総元締へ異動になった。

最後に会ったのは、彼が引っ越していく前日。

長年の相棒として、最後はふたりで酒でも酌み交わそうか、なんてオヤジ臭い発想に至ったのは、どうやって別れの言葉を切りだしたらいいかがわからなかったからだ。
別れを惜しむのは、長年相棒を組んだ身として当然の事。…ではあったけれど。
彼の昇進が喜ばしい事であるのと同時に、コンビ解消、という事実を突き付けられた事による寂しさもあり。
歳をとっていけば、いずれはそういう瞬間が訪れるだろうと想像してはいたけれど、実際にその時が来ると何だか、ただ真っ直ぐに「おめでとう」と伝える事さえ出来ない自分が居た。

その時の自分は、かなり追いつめられていたのだ。

狙撃の名手として名高かった彼が、とうとう自分の手の届かない人間になるのだ、という現実。
それを正面から受け止める事が、出来なかった。
理由なんて、今でもまだ鮮明だから。
思い出すと、胸の奥がギリギリと痛む。
今思い返しても、まるで冗談みたいな記憶だ、と思う。けれどそれが紛れもなく自分に起きた事実である事を、一番良く知っているのは誰でもない、自分自身で。

自分は彼に対して、本来「相棒」へ向けるべき物以上の想いを。
許されるはずのない想いを、抱えていたのだ。









好き、…だった


その想いだけで
呼吸が
止まりそうな程に




…好きだった









コプチェフはポストの前で逡巡し、手紙に触れる事を躊躇った。
けれど自分の中でそれが「思い出」になっているのかを確かめる為にも、やはりこの手紙を読むべきだろう、と思った。

しかし自分の思考とは逆に、怯えきっていた事も確かだ。

このままの生活を続けていけば、彼に会う事は二度とないだろう、と腹を括っていたのだし。もちろんこんなふうに、手紙なんて来る事など考えもしなかった。考えられなかった。

非常識な別れ方をしたのだ。
相棒として、それまで上手くつるんできた関係を、全て粉々に打ち砕いてしまうような真似をして。言い訳をする事もなく、彼の怒りや動揺を受け止める事もせず。

ただ一方的に、自分は彼を切り捨てた。

彼の中に「手紙を書く」なんて選択肢が存在していた事が、手紙を目にした今でも信じられない。






あの日。
彼がここを去る前日。

ふたりで飲んだ帰り道。




自分はろくに別れの挨拶もせずに。目を見る事もせずに。

ただ彼を、抱きよせて。







触れるだけの、キスを。










そして突き放すようにして、言葉を交わす事なく。









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