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037.「メトロポリス」
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車窓から、流れる景色を眺める。


色とりどりの光。瞬くネオン。
どこから湧いて出たのかと疑問に思うほどの人間の数は、じっと見ているとまるで蟻の群れのようだった。

真夜中近い時刻だというのに、町は煌々と明かりを灯したまま眠る様子もなく、むしろ昼間よりもギラギラとした姿をそこへ晒していて、何故だか気分が悪くなる。

ふと、窓ガラスに映った片割れの後頭部が少し斜めになったような気がしてキレネンコは振り返った。革張りのシートにうずもれるようにして、彼は静かに頭を垂れて目を閉じている。
ついさっきまで、同じように車窓から眩しい街を眺めていたはずなのに。自分と同じ顔をした彼は、うつらうつらと眠りに入って居た。

漠然と、疲れたのだろう、と思う。
自分達ふたりだけで対立した組織へ乗り込んだのは、今日が初めてだったからだ。

彼の頬や、黒いスーツから覗く襟元に付着した血。
もちろん彼の物ではない。

車の中は血の匂いで充満しているだろうけれど、今の自分にはそれが分からなかった。何しろ、この車内よりももっと濃い血の海に、自分達はほんの数分前まで居たのだから。



「…キレネンコ、寒くないか」



不意に運転席からそう声をかけられ、キレネンコは片割れの顔から運転席へと視線をずらした。運転手の男はもちろん、こちらを見て居ない。

運転席、助手席、後部座席、フロント以外の全ての窓にスモークが貼られたこの車は、自分達が移動する時にだけ表へ出される、いわば専用車だ。
父親の代から使われていたらしいけれど、そもそも「父親」という存在が何なのか理解していない自分にとっては、どうでもいい事のように思える。

けれど運転手の男は違うようだった。

表には出さないけれど、ただひたすらに自分達の身を案じる彼を、おかしな奴だ、と思いはすれど切り離す必要性を感じない。
この男が、自分達を通して違う人間を見ている事は明白だった。はたから見れば自分達に向けられているように見えるであろうその忠誠は、実の所そうではない。

男が忠誠を誓った相手の延長上に、自分達が居ただけの話なのだ。

とはいえ、自分達がまだ年端もいかない子供である事は確かなのだから、今は大人のそれに甘えておくのが得策だ、という結論に至る。
少なくとも、あと5年ほどは。


キレネンコはしばらくの間、体に当たる冷房の風に意識を向け、それから端的に答えた。


「寒くない」


男は無表情のまま続ける。


「…だんだん似てくるな」


続けられた言葉を鬱陶しいとは思いつつ、耳に入ってくるその声はやはり、気になる。似てきた、という言葉の意味をよく分かっている自分は、だからと言ってそれに返答する義務など無いのだけれど。

似ている、というその対象はもうこの世には居ない。

口を開く事が酷く億劫だった。
ただ、運転席に居る男が自分達の敵になる事は絶対に無い、という、運命にも似た確信を前提としたこの関係がある以上、会話に付き合ってやるぐらいならまぁいいか、という気持ちになる。



「…あと何分で屋敷に着く、」


男の、少し驚いたような顔がバックミラーに映る。こちらから何か言葉を投げかける事など滅多にないからだろう。
隣で眠っている片割れの姿を鏡越しに確認した男は、納得したような顔をしてから短く答えた。


「20分程度」
「そうか」
「…疲れたか」
「そうでもない」


男が黙ったので、キレネンコはそっと、窓の外へ視線を戻した。

この眩しい街を歩いている人間達は、その一角で行われている命のやり取りを知らないのだ、と思うと不思議な気持ちになる。
片や命の価値など毛頭知る気が無いような生活を送り、片や毎日奪われる事の恐怖に怯える。
同じ人間に生まれながら、生きていく環境がこうも違うのは何故なのだろう、と答えの出ない疑問を繰り返し考えた。



どれだけ考えても、辿りつく場所は同じ。



そういうふうに決まっているのだろう、という結論にしか辿り着かない。誰が決めたのか、なんて事にはほとんど興味が無かった。

例え神がこの命の行く道を決めたのだとして、それを知ってどうなる?

自分達は与えられた世界で生きていくしかない。それに対して憤りや悲しみなんて、覚えるわけがないのだ。どんな世界でどんなふうに生まれても、奪わなければならない瞬間というのは必ず訪れるのだし、奪われなければならない瞬間も必ず訪れる。

抗う事で傷が深くなっていくなら、ただこの流れに従い生きていく、という事を選ぶ現実が、それほどまでに憎らしい物だとは思えない。



不意に、右手に温かな手が重なる。


ゆっくりと振り返ると、片割れはいつの間にか眠りから戻ったようで、煌々と輝く街並みをただ、車窓から眺めていた。
その左手が、こちらの右手に重なっている。

そっと握り返すと、片割れはぽつりと言葉をこぼした。


「メトロポリス」


キレネンコは口の中で「メトロポリス」と反芻し、その意味を頭の中にある引き出しから引っ張り出して片割れへ投げかける。



「…主要都市、」
「ギリシャ語のmeteraとpolisが由来らしいよ」
「…『母』と『都市』か」
「そう。…だから今俺達は、『母』の中に居るって事だよね」




痛いぐらいに握られた手を、痛いぐらいに握り返す。

片割れはこちらを見る事無く、眩しいネオン街を眺めている。
だからキレネンコもそれを真似て、同じように逆側の車窓から外を眺めた。



色とりどりの光。
煌々と瞬くネオン。
蟻の群れのような人間達。





「蟻の群れみたい」





ぽつりと呟いた片割れの言葉は、当たり前のように自分の思考と重なっている。それが何だかおかしくて思わず笑うと、片割れはそれに気付き、同じように肩を震わせて笑った。

お互いの視線はまだ、メトロポリスに向けられている。

あえて、隣にある愛おしい存在の目を見て確認などせずとも、お互いに考えている事は分かっていた。







自分達は、この眩しい街で光に紛れながら、決して表舞台に立つ事なく闇の世界を生きていく。



闇を売り

泥を食い

光を奪い


命を奪う




それを罪だなんて思わない。命の意味が「生きる事」なら、自分達に許された方法でただ、定められた道を真っ直ぐに行く。

自分達が、蟻の群れにさえも入れないほど異質な物、…なのだとしても。







帰るべき場所は、あるのだから。

















2010.07.23
メトロポリスって何だろう、という所から始まったんだが…笑
双子はこの時まだ13歳前後、という幼さ。命の価値は知らないけれど、その意味はなんとなくわかっている。


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