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027.「キラキラヒカル」
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ゆっくり離れていくそれを追いかけて、引き寄せて。
もう一度そっと重ね合わせると、彼の唇が微かに笑みの形に変わるのがわかった。

夕暮れ時。
見慣れている自分の部屋がオレンジ色に染まって、けれどすぐそこまで闇が押し寄せている、その時間帯。



目を閉じて。

ただ穏やかな。

触れるだけの、口付けをする。














鼻歌交じりに、手際よく夕食の支度をしているコプチェフの、広い背中。
ちょうど腰のあたりから後頭部にかけて、夕陽に染まっている。かなり長い間その状態だから、きっと触れたらいつもの体温以上に温かいだろう。
襟足辺りで緩いカーブを描いている、淡い紫色をした彼の髪。夕陽を反射して、時折キラキラと光っている。

綺麗だな、なんて思ってから、ボリスは内心舌打ちをした。

嫌がるような事ではないのだろうけれど、吸い寄せられるようにその光を見つめている自分の脳内が普通ではない事ぐらい、自覚しているから。
自分を戒めなければ、なんだかとんでもない事になってしまいそうな予感がする。冷静になれば今この部屋にある光景は、とんでもなく恥ずかしい展開に違いない。

鼻歌を歌っているぐらいだから、きっと楽しそうな顔をしているだろう彼と、そんな彼の背中を、何の意味もなく、けれど穏やかな気持ちでただ眺めている自分。

恥ずかしすぎる。


最近では当たり前になっているけれど、正直言って昔の自分なら想像できない光景だ。長時間誰かと一緒に過ごす、という事自体、相手が恋人だろうが何だろうが関係なく、自分は苦手だった。

今も苦手…だろう、とは思う。


彼女、とか。
そういう存在が居た事だってあるわけだし、こんなふうに誰かと時間を共にするという瞬間は今までだってあった。だから今だってその時と似たようなものだ、とは思うのだけれど。

ボリスは無意識の内にそんな思考に陥った自分が恥ずかしくなって、そもそもコイツ「彼女」じゃねぇし、つーかそれ以前に女ですらねぇし…とかちょっとだけ自嘲気味な事を思って。
いつも通りの思考に引き戻そうと、努力はしたのだけれど。

昔は存在しなかった感情が、今自分の中に存在している、という事実に気づいてしまった瞬間、もはや言い訳する事さえ出来なくなってしまうのだ。
「戸惑っている」、という感覚がもちろん、自分の中にある事は自覚しているけれど、それよりももっと、魂に近い位置にある感覚が押し寄せてくる事の方が何だか、落ち着かなくて。

一言で「嬉しい」とか「幸福」だとか、言い切ってしまえないのは多分、自分達の選んだ道がこれから先、どこかで途切れているのではないか、という不安を完全にぬぐい去る事が出来ないからなのだろう。






だから叙情的に言うなら。

切ない、ような気持ち。





似合わない思考を、振り払うようにゆっくりと瞬きをして。
それから目を開くと。

夕陽に染まった、広く穏やかな背中。キラキラと光を反射する、淡い紫の髪。

思った通り目を逸らせなくて、再度自覚させられてしまう。





自分はこんなにも、彼を。





湧いたその言葉があまりにも恥ずかしい単語で、ボリスは慌てた。




衝動的に立ち上がって。
キッチンに立つ彼の真後ろまで近づいて。





そっと。
その広い背中に触れる。




コプチェフは驚いた表情で顔だけ振り返って、どうしたの?と目で問いかけてきた。何も答えずに居ると、こちらの目を覗き込むようにして微かに笑みを浮かべながら、「なーに、構って欲しいの?」なんて馬鹿馬鹿しい事を口走る。




「…いいから黙って前向いてやがれ」
「えー?」




構って欲しいなんて、猫や犬じゃあるまいし。

けれどよくよく考えれば自分の行動は、それに近い物ではあったかもしれない。馬鹿馬鹿しい事やってんのは俺か、と内心毒づいて、けれど触れたコプチェフの背中があまりにも温かくて、手を離せない。

不意に彼が言う。


「ボリスってたまに、気配無いよね」
「お前が不注意なだけだろ」


喉の奥で笑いながら、「え、そう来る?」と答えた彼の言葉は、音として、というよりも振動として、触れている背中から自分の手を通して伝わってくるような気がした。
ふと、その背中に触れている自分の手を見やる。

相棒として過ごしてきた日々は、今あるこの感情を抜きにしてもかけがえのない、大切な物だ。
けれど当たり前な話、あの頃はこうやって意味もなく背中に触れる事なんてあるわけがなかった。自分が無意味なおふざけを好まなかったせいもあるし、彼がそれを汲んでくれたお陰でもある。



「こうなる前」と「こうなった今」の、違い。
ただ触れる、という事がいかに難しいかを、思い知る。



少しだけ頭を垂れて、その広い背中に額を押し当てた。夕陽に照らされていたその背中は、普段の体温よりも少しだけ高くて。心地よくて。

自分ではない、ぬくもり。

やがてコプチェフが再開した鼻歌が、今度は額を通して伝わってくる。軽やかで、穏やかで。沁み込むようにして浸透してくる彼の声。実際には聞こえるはずもないのだけれど、命の鼓動が、彼の鼻歌と一緒に聞こえてくるような気がした。


無意識で、彼のシャツを掴む。


カチリ、と火を止める音がして、コプチェフがゆっくりと振り返った。顔を上げて彼の目を見ると、少しだけ不思議そうな表情をしたそれと視線がぶつかる。
どうしたの?と無言のまま再度問いかけてくるその目に、なんとなく思った事をそのまま伝えた。


「…背中、あったけぇんじゃねーかって思っただけ」
「…あー、…夕陽?」
「そう」
「寒いの?」
「別に」


何それ、どういう事?とコプチェフは笑って。
それからそっと、頬に触れてきた。掠めた指先からは微かにジンジャーの匂い。夕メシ何作ってんの、と問いかけようとした唇は、そっと彼のそれで塞がれた。



羽根のような、微かな口付け。



触れるだけで離れていくそれを追いかけて捉えると、重ねている唇が微かに笑みの形に変わるのがわかった。

頭の片隅では「にやにやしやがって」なんて思ってみるのだけれど、実際のところそれは「にやにや」というよりももっと、穏やかで優しい笑みなのだ、と分かっている分、多少いたたまれない気持ちになる。



夕暮れ時。

見慣れている自分の部屋がオレンジ色に染まって、すぐそこまで闇が押し寄せているその時間帯。そろそろ明かりをつけなければ、お互いの姿が見えにくくなる。

空気には、夕食の支度を始める時分特有の、妙に所帯じみた匂いが混じっていて。きっと以前ならこんな空気に安らぎを感じたりはしなかっただろうけれど。

今は。





これがずっと続けば、なんて思っていて。





うっすらと目を開いて、ゆっくりと唇を離して。
間近にある彼の顔を見やると、左側だけが未だ、夕陽に照らされている。

淡い紫の髪はやっぱり、夕陽を反射してキラキラと光っていて。けれど太陽が沈むのと同時に、少しずつ消えていくその光を見ていると、何だか切なくもなって。



そっと目を閉じると、またゆっくりと唇が重ねられる。



唇から伝わる体温。
命そのもの。

それがこんなにも、切ないほどに。



浮かんだ言葉に、何故だか胸がギュっと、潰れそうになった。痛みにも似た、甘やかな感情。何の確信も無く、きっとコイツも同じに違いない、なんて思いながら。





そっと。

呼吸を合わせて。







羽根のような、口付けを。











2010.06.10
なんだか甘っこい話になったな…。ただ「触れるだけの口付けを繰り返す」というふたりを書きたかったのです。お題はこじつけです←

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