03/13の日記

10:01
伝えることの難しさ
---------------
こんにちは。羽越です。
特に意味もなく、長文を書き連ねたかったので書きます。

子に対する親の影響って大きいよねって思うんです。
前置きすると、私はたぶん並以上の生活を与えられていたし、何不自由なく暮らしてきたから、一般的にいう"家庭環境が悪い"わけではないと思います。
でも、だからといって何も悩みとか問題がないわけではないんですよね。
やはり、それぞれの環境で、悩みとか不満とかってあると思うんです。
隣の芝生は青く見えますから、そんなの十分幸せじゃんと言われてしまえば仕方がないというか、たぶんわかりあえないでしょうけど。

隙あらば自分語り。
…ここは私の日記ですから、自分の話をしてもいいはずです!笑


家族って、私は他人だと思うんです。

というのも、家族だからって必ず同じ考えとは限らないし、似てるかもしれないけど性格だって違う個人じゃないですか。
昔は「(家族なんだから)察してよ!」と思っていたときもあります。でもそれって無理ですよね。あるとき気付きました。言葉でハッキリ言わないと伝わらないんだと。
でも、言葉にしたからと言って、伝わるとは限らないってすぐに気づいてしまいました。

当時私にはすごく言われたくないことがあって、母はその話題を重く受け止めていなかったのでさらっとその話をするんです。それがすごく嫌で。その話は聞きたくないのに、なんで蒸し返すの?ってずっと思っていました。
でも、私も、嫌だと言うことを主張してないからいけないんだと思いました。だからハッキリ言ったんです。
「その話は聞きたくないからやめてくれ」って。

でも、わかってもらえませんでした。
母の中では全然重い話ではなく、思い出話の一つだったから、私がなんでそんなに嫌がるのかわからないといったようでした。
そう思っているのには薄々気がついていましたので、ハッキリ「やめて」と主張すれば、それは嫌なことなんだと伝えれば、やめてもらえると思っていました。
でも違いました。母は母で、自分の信念があったんでしょう。私は考えを変えないから!と言われました。別に考えを変えてほしいわけじゃなく、私が嫌がることをしないでほしかっただけなんですけどね…
言わないでほしい私と、言いたい母。
端的に言えば、"話したいことを制限されたくない"と言われました。ああ、わかりあえないとはこのことかと思いました。
そのとき、気持ちって言葉にしても伝わらないんだと痛感しました。

この経験は、20歳くらいのときの話で、意外と大人になってからの話だったんです。
でもこれがトドメになった気はします。
これ以来、人に期待しないようになりました。

思い返せば10歳くらいのころでしょうか。まだ小学生のころです。
私はピアノを習っていました。確か、5歳から17歳くらいまでです。結構長いですよね。
でも私はとにかくピアノが嫌いで、やめたくてやめたくて仕方がありませんでした。
小学生のころ、それこそ何回もやめたいと主張しましたが、絶対にやめさせてもらえませんでした。次第にやめたいと主張することは無駄なことなのだと思い、主張しなくなりました。
あとでわかったことですが、主張しなくなったことで、もうピアノをやめたいと思ってないのだと思ったと言われました。勘違いも甚だしいですね。あれだけやめたいと言っていたのに。

正直、これらは私の人格形成に深く関わったと思います。

良く言えば、人の考えを受け入れることができる(自分が受け入れてもらえなかったから)。
悪く言えば、諦めが早く冷徹、そして人に期待していない。

他人と理解し合おうというのが無理、というスタンスになっている現状です。
それによって特に困ったことはないので、それなりに満足しています。
数年前まで、こういう性格になったのは親にも原因があると思うこと自体が、すべてを人のせいにしていて、そんな自分が嫌だと思っていました。
でも最近は一周回って、そりゃ小さい頃の経験が性格に影響するのは当然だろと開き直りはじめました笑
どんどん図太くなっていく気がしますね。

前へ|次へ

コメントを書く
日記を書き直す
この日記を削除

[戻る]



©フォレストページ