沈黙の儚き風

□story4
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「・・・・・」

 はるかは心配でならなかった。

 自分にだけ屈託なく笑うその少女。

 それでも闇を抱えている少女。

 絶対に離れないと決めた大切な少女。

 “はるかくん”から“はるか”に呼び方が変わった時は、言葉にはしなかったものの心の中でとても喜んだものだ。

 その少女がこの春、ふいに様子が変わったのだ。

 よく考え込むようになった。

 そして、それを自分に話してくれない。

 何かを隠しているようだ。

「ふぅ〜」

 はるかは時雨が去って行った部室の方を見つめながら、大きく息を吐いた。

(まー、僕も人のことは言えないかな)

 今まで迫りくる何かに足掻いて風のように走り続けていた。

 だがそれは難なく近づいて来ているのだ。


 赤くて、

 紅くて、

 朱い世界。

 自分の目の前で、人々が飲み込まれていく。

 黒い邪悪な気。

 それが自分に迫りくるときに聞こえる女性の声。

 そして宙に浮かんで現れるその女性。


沈黙が迫って来る――…
はやく、メシアを探さなきゃ――…



 最近になってより鮮明になり、そして何度も見るようになった。

 世界の破滅を予言する夢。

 だからさらに走りを速くしている。

 さらに風と同化するように。

(本当に。時雨のことをとやかく言えないな…、)

 はるかはそう思うと空を仰いだ。




‡   ‡   ‡



 そうして月日は経っていく。

 6月に入り、今日は準備してきていた大会の日。

 時雨はトラックから離れた控え場所で彼女を見守っている。

 しかし、時雨ははるかが勝つことは確信している。

 だというのに、胸騒ぎが止まらない。

 朝から、何か、新たに運命の歯車が噛み合いそうな予感がしてしょうがない。

 留学の返事はまだしていない。

 まだ、信じていたいのだ。

 自分の思い描いた道を。

 そんな風に考えているといよいよ勝負が始まる時間になった。

 はるかがスタート地点で“ようい”の姿勢をとる。

 高らかにピストルの音が鳴り響き、はるかを筆頭に他の選手たちも走り始める。

「はるか……」

 離れたくない。

 離れたくない。

 ずっと、傍にいたい。

(あなたの風を感じていたい…、)

 はるかが走っている時は時雨の周りに彼女の風が吹いて来る。

 時雨はその風を纏って感じ入ると、はるかを見つめる。

 風のように手に掴むことができないという現実が、刻々と目の前に迫ってきている。

 周りを吹く風に手を伸ばして掴んでみる。

 だが、やはり掴めない。

 はるかがトップで疾走し、そしてゴールを切る。

 ゴールテープを彼女が切ったと同時に時雨の周りの風がピタっと止む。

 そうして時雨は現実に戻る。

 こちらに向かってくるはるかにタオルを持って迎える。

「お帰り」
「あぁ、ありがとう」

 はるかは笑顔で時雨からタオルを受け取る。

「天王はるかさん」

 その時、はるかの背後から先ほど一緒に走っていたエルザ・グレイがやって来てはるかを呼び掛ける。

 はるかは彼女の方に振り向いた。

「噂には聞いていたけど、あなたやっぱりすごいねぇ」

 エルザはとても明るくはるかに話し掛ける。

「あなたに紹介したい子がいるんだ」

 そう言って、エルザは背後からこちらに歩いてくるスケッチブックを持った波打つ海色の髪を靡かせた見るからにお嬢様っぽい人を呼んだ。

「海王みちるよ。すごい秀才でしかも天才画家って言われているの。あなたに興味があるんですって」
「っ!!」

 その人物を見て時雨は目を大きく見開いた。

(いやだ…、)

 時雨は一瞬でそう思った。

 心臓がドクンドクンと大きく、そして激しく脈打つ。

 はるかと居て、初めての感覚。

 焦っている。

 とても恐怖を感じている。

 そして時雨と同じくその人物に驚いているはるかの腕に触れた。

「私…先に出てるね…、」
「え?時雨っ!!」

 はるかに有無も言わせず時雨は走り去って行ってしまう。

 何がなんだか分からないまま、はるかは走り去って行った時雨の後姿を見つめる。

「あなた汗ひとつ掻いてないのね、かなり力を抑えてるんじゃなくって」

 そんな二人に構わず、みちるははるかに声を掛けた。

 はるかはみちるの方に振り返り少しムッとすると、彼女にどういうことなのかと尋ねた。

 そのはるかに対して、みちるは笑顔を絶やさずに少し小さな声で答える。

「あなた、風の騒ぐ声が聞こえるんじゃない?」

 その言葉ではるかは確信した。

 彼女が夢のその人であるということを――。




「ハァ、ハァ、ハァ…、」

 時雨は競技場から出たすぐの柱に寄り掛かって荒くなった息を整えていた。

 あまりの急な出来事に心がパニックになり、競技場の中からここまで全速力で走って来てしまった。

 見たくなかった。

 二人が出会い、二人が話すところを。

「ふ…ふふ……」

 まだ息が荒いので無意識に声が漏れて、頼りなく笑ってしまう。

(分かっていたことじゃない…)

 あの二人が出会うということは。

 たとえ今でなくても、いずれはそうなることを。

 だが、その時は“今”やって来た。

「時雨?」
「っ!?」

 背後から名前を呼ばれて時雨は勢いよく振り向いた。

 そこに、はるかがいた。

「はる…か…、?」
「急にどうしたんだよ?」

 止める間もなくあの場から去って行ってしまった時雨。

 その時の時雨の瞳は何かを訴えていた。

「なんでもないよ…」

 時雨は大きく深呼吸すると落ち着きを取り戻して、はるかを真っ直ぐに見て改めて訊いた。

「あの人はなんて?」
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