沈黙の儚き風
□story7
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「はじめは、ミミかと思ったのに……」
朝も早くから起きた時雨は創一がいつもいるあの薄暗い研究室に赴き、ある女性に対して話し掛けていた。
その人物は以前に少し話していた女性だった。
長髪の赤毛を腰の高さほどで3束にまとめて大きな赤い星のイヤリングをした女性は、コンピュータの画面を見つめたまま何の反応も見せず黙っている。
二人がいる部屋ではカタカタとコンピュータのキーボードを打つ音だけが聞こえている。
時雨は女性のデスクに座り、コンピュータに向かったままの女性の方を見た。
「そんなに論文を書くのが楽しいの?ユージ?」
“カタンっ!”
「!!」
時雨がそう質問すると女性は突然強くキーをたたいて、目線を時雨に移した。
「ユージアル……」
「はい?」
時雨にユージと呼ばれた女性は、低い声で呟いた。
「ユージじゃなくて、私はユージアル!!」
【ユージアル】と名乗った女性は、立ち上がり、はっきりときっぱりと時雨に言った。
「なんだそんなこと?」
だが時雨は全く靡いていなかった。
「“そんなこと”で済ませないでくれる!?」
「やぁねぇ、愛称よ、愛称」
時雨の悪びれない態度にがっくりと力が抜けてしまったユージアルは、その重力に任せて椅子に座り込んだ。
「……こっちはヤなんだけど……」
その時――…
“プルルルル”
ユージアルのデスクにある電話が鳴った。
脱力した時に少しよれてしまった白衣を正すと、息を一つ吐き、ユージアルは受話器を取った。
「はい、ユージアルです」
「………」
先ほどのくだけた様子はどこへやら、時雨はそのユージアルの様子をじっと見つめていた。
またコンピュータに向かって片手でキーボードを打ち始めるユージアルの横に行く。
「すでに次なるピュアな心の持ち主を、タリスマンの候補者を見つけております」
横からパソコンの画面を見ていた時雨は、ユージアルがそう言ったと同時に開かれた『遠野摩弥』と名前の書かれた少女の写真を見つめた。
ユージアルは時雨に見られていたところで関係ないようで、会話も止めずに電話の相手に更に続けた。
「和太鼓の名手として有名な少女がターゲットです。この娘のピュアな心がタリスマンでないかと……」
そう言って、また少しやり取りをした後、受話器を置いた。
「………」
「何よ?」
受話器を置く手をじっと見つめ、その後、真っ直ぐにユージアルを見つめる時雨に彼女は少し無愛想な声音で聞いた。
先ほどまで見せていた悪びれない表情とは打って変わって時雨の表情はとても真剣で、何かを訴えてきているようにユージアルには感じられた。
すると、ユージアルは優しい眼差しに変えて時雨の頬にそっと触れた。
「ちゃんと、帰って来るから」
「うん……」
無事で帰って来て欲しい……。
時雨の願いはただそれだけ。
‡ ‡ ‡
(ユージのレポートは創一さんから見せてもらった)
あれが効率良いのかと疑問にも思うところだが、
(もう失いたくないんだけどなぁ〜)
ただそう思う。
もう前のように大切で、愛しく想う人に目の前からいなくなって欲しくない。
自分の傍にずっといて欲しい。
(まぁ、それはただの我がままなんだけどね…)
時雨は教室の自分の席で頬杖をついて窓の外を見ていた。
空は真っ青で澄んでおり、太陽も元気に地上を照らしている。
今日は雨の心配はないだろうと思われた。
ユージアルのことや今日の天気のことをボーっと考えていると、自分に近づいて来る足音に気が付いて時雨は頬杖をついたままそちらに顔を向けた。
「っ!!」
「なんだよ……」
頬杖をついていた時雨は、自分の元にやって来た人物を確かめると驚いてから嫌な表情を見せた。
「そんな嫌そうな顔をしなくてもいいだろう」
「………」
ひとつ息を吸って落ち着くと、目を少しだけ細めてその人物を見る。
「そりゃ、嫌にもなるでしょう。人の過去を散々気にかけてきたヤツなんだから」
一度きっぱり突き放されたというのにも関わらず、時雨に付きまとってくる人物――榊が性懲りもなく時雨の前に姿を現した。
「で、何の用よ」
時雨は真っ直ぐ机に向かって座っていた身体を横に向けて、足を組んで面倒くさそうな声で榊に尋ねた。
「今日、十番祭りがあるんだ」
「は?」
「行こうぜ、一緒に」
(何を言っているんだこの男は?)
時雨は榊の言葉に固まった。