沈黙の儚き風
□story4
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「え?……留学?」
「あぁ是非、君に行ってほしいのだよ」
中学2年に上がったばかりの4月下旬のある日、時雨は校長からの呼び出しを受けると、そう告げられた。
「君が一人暮らしをしているのは分かっているよ。留学費についてもこちらが少しだけだが負担しようと思っている」
校長の言葉を時雨は黙ったまま聞いている。
校長は時雨の様子を窺いながら話を続ける。
時雨は少し迷ってしまった。
運命が、動き始めた――…
そう思った。
「天宮君…?」
「少し、考えさせて頂けませんか?」
尚も黙っている時雨に言葉を掛けようとした校長を遮って、時雨は顔を上げるとそう申し出た。
「もちろん。今日中に返事をしろとは言わない。ゆっくり考えて返事を聞かせてくれるかな?」
「……はい」
校長はとても優しい声で時雨に言葉を掛けた。
そうして時雨は校長室を退出した。
パタンと校長室の扉を閉めた時雨は、その場で目を閉じてため息を漏らした。
「・・・・・」
そして、目を開くと考え込んだ。
(留学費とかの問題じゃないんだけどな…、)
両親に先立たれて、時雨は一人暮らしをしているが、留学費を出してくれるアテがないわけではない。
(出してくれる人はいる。でも…、それには…、)
着実に運命の歯車が回り始めている。
どんどん噛み合ってそれが波及していく。
(やっぱり…、抗うことはできないのかな…、)
時雨は瞳を小さく左右に揺らして憂えていた。
悲しくて、
淋しいのだ。
「時雨?」
「?」
運命に対して自分の悲力さを目の当たりにしているところに、ふいに名前を呼ばれて時雨は声のした方を向いた。
「校長からの呼び出しはなんだったんだい?」
「……はるか…、」
「??」
時雨を呼んだのははるかだった。
はるかの姿を認めた時雨は、はるかの元に自然と寄って行くと彼女の胸に額を付けて身体を預ける。
「時雨?どうかしたのか?」
「ううん…」
それだけで時雨は何も言わなかった。
‡ ‡ ‡
今、陸上部の選手たちは6月の大会に向けて調整をしているところだ。
もちろん、エースであるはるかはその選手に選ばれている。
時雨は水やタオルを用意して、ベンチの近くに立ってはるかを見つめている。
以前から、はるかは追って来る目に見えないモノから抗うように、逃げるように、走り続けていたが、最近ではそれが強くなってきているように思う。
それが分かるから時雨の心が搔き乱されていく。
最近では陸上とは別にモータースポーツもやっているようだが、そちらの方が活き活きとしている。
(何をそんなに…、)
そんなに一生懸命走っているのか。
足掻いているのか。
「ふっ…」
時雨はふと声を漏らして自分に対して鼻で笑った。
何に足掻いているのか、それは今の段階では自分が一番分かっているではないか。
(願わくば、時が満ちるまで会いたくなかったな…、)
どちらにせよ出会う運命であるなら、こんな風に気持ちが募っていかないようにしてほしかった。
全く関わりのないただの風と同じように思えるように。
「時雨……時雨…?」
「っ!?」
まただ。
時雨は最近考え事に集中しすぎてしまうことが多い。
「あ、ごめん…はるか、……はい」
そう言って慌てて走り終えたはるかに、タオルと水を渡す。
「いいけど…大丈夫か?」
「え?」
「最近、考えることが多くないか?」
「そうかな…、」
時雨は心配そうに見つめてくるはるかから視線を外して誤魔化す。
一年間、片時も離れず一緒にいた二人。
いつもお互いにお互いを見てきた。
お互いを知り合ってきた。
そんなはるかが時雨の様子がおかしいことを見逃すわけがない。
「時雨、何を隠してるんだ?」
「なんにもないよ、そんなの…、」
そう言って時雨は部室の方へと去って行ってしまった。