沈黙の儚き風
□story3
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「またタイムが上がった」
時雨はストップウォッチのタイムを見て呟くように言った。
そして、肩に掛けていたタオルを手に持つとタイムを上げた人物の元へと歩み寄った。
「はい、はるかくん。…って、汗掻いてないからいらないか」
「おいおい、苛めるなよ、時雨」
そんなやり取りをしながら、はるかは時雨からタオルを受け取る。
「息も上がらないし、汗も掻かないし、でもタイムは上がるし…、はるかくんが本気になるとどうなるんだろう?」
「僕は本気で走っているよ」
「そうかな〜」
あの日、
あの雷が鳴り響いた日から、時雨ははるかとの距離を急激に縮めていた。
はるかは女子陸上部に所属していて、ちょうどマネージャーが欲しかったらしく、はるかの誘いを受けて時雨は陸上部のマネージャーとなった。
他にも部員はいるが、時雨ははるか以外とは、関わり方が事務的であった。
はるかはそんな時雨の様子に気づいていて、実は気になっている。
だが、今は様子見に留めている。
そして、それから部活を終えて、帰り道。
「はるかくんは風のように走るよね」
「え?」
はるかは急な時雨の言葉に、眉を顰めて聞き返した。
時雨ははるかの方には顔を向けず、正面を見たまま憂えた瞳で淡々と語り始めた。
「あなたは風…。だから、色んな人たちをどんどん通り越して先へ先へと行ってしまうの」
そう。
風は姿も音も無く人々の間を過ぎて行く。
そんな風にはるかも通り過ぎて行ってしまう。
「時雨?」
「私も…、」
そんなはるかに必死に捕まっている自分さえも、いつの日か取り残されてしまう。
その言葉を聞くや否や、はるかは勢いよく時雨の肩に手を伸ばすと、自分の方に向けさせた。
「時雨を置いていくことなんかない!!」
真剣な表情で必死に気持ちを伝える。
だが、時雨は首を横に振って、はるかから視線を外すと続けて言った。
「今のあなたにはどうしても逃げ切れないモノがあって、それに必死に足掻いて逃げようとしている」
誰もが追いつけないはずのはるかに、あるモノだけが追いついていく。
はるかは思い当たることでもあるのだろうか、目を伏せて時雨の肩を掴む手を緩めた。
一体時雨には何が見えているのだろうか。
今度は時雨から視線を外したはるかの表情を時雨は見つめた。
近くにいればいるほど募る気持ち。
でも現実は、運命は確実に動いている。
自分には抗えない運命が……。
赤くて、
紅くて、
朱い世界。
人々を飲み込む邪悪な気。
妖艶に笑む人物と、温かく笑む人物。
2つの方向が描かれた来る未来の夢。
時雨はそれでも自分に芽生えたこの気持ちを抑えることができなくなっていた。
‡ ‡ ‡
翌朝。
登校した時雨は、靴を履き替えようと靴箱を開いた。
「・・・・・」
上靴を取り出そうとして時雨は唖然としてしまった。
周囲から少し鼻につく異臭を感じていたのだが、それがまさか自分のモノからだとは思っていなかった。
靴箱に入っていた時雨の上靴は牛乳にまみれていたのだった。
(しょうもないなぁ〜)
時雨は目を半眼にして呆れ果てていた。