沈黙の儚き風

□story7
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「ごきげんよう」

 時雨が視認した人物の一人がよく通る艶っぽい声でうさぎたちに挨拶した。

「はるかさん!みちるさん!」

 うさぎが声を上げて二人の名前を呼んだ。

 はるかとみちるがたまたま通りかかったようだ。

 はるかは無地の薄い紺色の浴衣を着流して、男道と書かれたうちわを持っていた。

 その隣にいるみちるは淡い黄色に葉のような模様が要所に描かれている浴衣を着ていた。

 二人が並んで来ただけで少し場の空気が変わったような気がする。

 しかし、みちるがうさぎたちに笑顔を向けているその横で、はるかは動揺し、瞳を大きくして小さく左右に揺らしていた。

 時雨も目を見開かせたまま動かないで二人を見つめていた。

 時雨の後ろでは榊が視線を鋭くさせていた。

「いつも……」
「え?」

 二人を見ていた目を伏せて俯いて時雨は小さく呟いた。

 その声を聞いてうさぎが時雨の方を見る。

「いつも一緒なのね」
「時雨……」

 時雨の低く小さく呟いた声が聞こえたはるかは辛そうな表情を見せて彼女の名を紡ぐ。

 時雨は俯かせていた頭を上げるとキッと2人の方を睨んで言った。

「私の前にもう現れないでっ!!」

 声を荒げて言い放った時雨は走り去って行ってしまった。

「時雨ちゃん!!」

 うさぎは突然に走って行ってしまった時雨の名前を呼ぶがすぐに人ごみの中に消えて行った。

「時雨……」

 はるかは時雨が去って行った方を見つめていた。

――どうしてこんなに苦しいんだろう。

――どうしてこうなってしまったのだろうか。

(だがこれは、自分で決めた道なんだ……)

 はるかは目を伏せて今だけこの辛い想いを封じ込めた。

「土兄くん…?」

 榊が美奈子の腕を振り解いてはるかの元へと歩み寄った。

 はるかは近づいてきた人物に気付いて、そちらを向いた。

 全く知らない青年が自分の目の前にやって来ていた。

「…な、なんだい?」

 榊は、はるかを思いっきり睨んでいる。

 その眼差しは先ほど時雨に向けていたのとは全く逆で怒りに満ちていた。

「アイツを…」
「え?」

 気持ちが昂っているのかとても低い声を発した。

「時雨を傷つけるな」
「なに!?」

 はるかは榊のその言葉に目を一瞬で鋭いものに変えた。

 その視線も気にせずに榊は時雨が去って行った方に駆けて行こうとする。

 その青年に、はるかは尋ねた。

「お前は時雨のなんなんだ?」

 そのはるかの言葉に立ち止まった榊は振り返って言った。

「それを“今の”あなたが聞きますか?」
「っ!?」

 それ以上何も言えなくなったはるかは時雨を追いかけて去って行く榊の後姿をただ見ているだけしかできなかった。

「はるか……」

 みちるが心配そうな表情ではるかを見上げる。

 時雨たちの様子をうさぎたちは茫然として見ていた。

 剣呑な空気が漂っていたのだが、はるかがおもむろにうさぎたちの方に首を巡らした。

「?」

 うさぎは何だろうと首を傾げるとはるかは優しい瞳を向けて尋ねてきた。

「彼は誰だい?」
「え、あ〜…」
「土兄榊くんです!!」

 うさぎが急な問いの答えに迷っているとその後ろから美奈子がドンとうさぎの背中に勢いをつけて寄ってきて答えた。

 うさぎは美奈子が背後に勢いよくやって来たのでその痛みに少し涙を堪えていた。

「なんか時雨ちゃんの幼馴染みたいですよ」

 さらにその横からまことが付け加える。

「時雨の幼馴染?」
「はるか…、」

 まことの言葉を受けてはるかは呟きながら少し考え込んでしまった。

 隣ではみちるが気にしている。

 うさぎたちには分からない空気が再び漂う。

 だがこの空気を変えようと、うさぎが明るい表情を見せてはるかたちに言った。

「はるかさんたちも金魚すくい、どうですか!?」
「え?あぁ、そうだな」
「じゃぁ、ちょっとだけ」
「どうぞ、どうぞ」

 うさぎの明るい声に押されてはるかは金魚すくいを始めた。

 一発でうまく金魚をすくえたが、はるかのその心の内では時雨の叫び声や榊のあの鋭い眼差しがとても引っかかっていた。




‡   ‡   ‡



「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、」

 時雨は店の列から少し離れたところで、大木の幹に額を付けて昂った気持ちが治まるまで大きく呼吸を繰り返していた。

「ハァ、ハァ……フっ…ハァ、ハァ……」

 楽しいと感じていた今日のこのひとときが一瞬にして掻き乱された感じだ。

(きっともうあの人は追って来ない……)

 あの頃のようには……

 時雨は、前の中学でいじめに遭った時や豪華客船での時のことを思い出していた。

(あの頃はずっと傍にいたのに。私が避けようとしても追いかけて来てくれたのに…)

 もうあの頃のようには追いかけて来てくれない。

 全てが自分の目の前から遠ざかって行く。

 失って行く――…


「時雨っ!!」
(っ!?榊……)

 だいぶ呼吸が整ってきていた時雨は自分を探しているのだろうその声に反応した。
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