単体SS

□カナルイヤホン
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不都合をイヤホンで閉じた。
イヤホンからはあたしが選んだあたし仕様のプレイリストの曲が流れている。
好きな曲しか流れなくて、スキップする必要は無くて、だから一瞬も途切れることなく曲がエンドレスリピートされる。
都合良くノイズキャンセル機能が作動しているから邪魔な雑踏は全休符で、それは動く街並みさえもシャットアウトする。
濁ったような空の色もそれを反映する建物もあたしの心中とそぐわない色遣いで濃く重く染められている。
新しい空気を入れられない、望めない自然物全てを吹き飛ばしたくなる衝動が込み上げて来たのであたしは黙って音量を上げた。
その瞬間、地面が揺れる感覚を覚えあたしは少しふらついた。狭かった空が少し広くなった気がした。
なんだかその向こうに吸い込まれそうできゅっと足を踏ん張ったが大地はびくともしなかった。
曲は、やっとサビに差しかかった。
相変わらず色を持たない景色はまるで時が止まったかのように瞬間を保存していた。
あたかもあたしがプレーヤーを再生した正にその時、停止ボタンが押されたかのように。




歩く度近づいて遠ざかる景色はあたしの旅路を励ますようで貶すようで、
時に本当に何もないまっさらな土地に出ると非常に心細くなるのだ。
でもあたしの指針となっている目の前の“あれ”があたしの今のすべてで、あたしに訴えるもの。
プレーヤーはあたしの旅の終着点を知っているかのように組み込まれた最後の曲を流し始めた。
最早あたしを支えるのが音楽機器なのか“あれ”なのか、そんなことはどうでもよかった。
――とにかく。
とにかく、耳に無益なものを流し込ませてはいけない。それだけ。
一周してもまた一曲目が掛かるんだから、足りる場所にはいるのだけれど、でもあたしは聴覚のみならず視覚も無音を嫌がっている。
仄暗く光る本当の空の色を切り取った“あれ”はあたしの居るべき世界の“青”だと確信した。
灰色の中でひとつ輝くあたしの太陽。ほら、アーティストも謳うじゃない。真理が自身の世界ではない。
スキャットとインストゥルメンタルが音割れ、最高潮を迎え引いていく。――引いていく?
忘れていた。
この曲はフェードアウトしていくのだ――


「――ハルヒ――」


型は丁度合っていて、ノイズキャンセルも効いているはずなのに方向も鮮明にその声は耳に響き、あたしは大きく鳴らす鼓動に添って耳に神経を集中させた。
それでも集中できず耳をすり抜けていく音楽に動揺し、ふいに何もかも落としてしまったような感覚になりあたしはあの声に反応を示そうと振り返ろうとしたが、
プレーヤーは至極無機質に心地良い感覚であたしの世界へと奏で始める。
多くを求める事を許してはくれないのだ。
一曲目はやっぱり大好きな曲で、それなのにあたしは何故かイヤホンに手を掛けていた。


2010,5,27

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