掛け算SS

□傘
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夢をみた。限りなく現実的で、でも限りなく願望的だった。
まるで過去にこんな事があったのでは、というくらい輪郭がはっきりしていて、
本当に今こうして地に足付けている“自分”が動いていたのではないかと言うくらいの軌跡を、起きた時には身体に焼き付けていた。
でも、いくら僕が夢遊病まがいの事をしていたとしても、これは絶対に、ありえないことなのだ。
――そう決め付けている自分にまたひとつ嵩が増えた。
たくさん積って今や数えられない程のそれは僕を包むように大きなコウモリになっている。
そんな、体積だけを増やす嵩はより一層僕のこの世界での占拠部分を増やしていて、頑丈な嵩は何にも通されず、雨にも流されないし、光にも洗われなかった。
何故なら「諦めているから」。それでも粘着に「想うだけ」の僕は一体どれくらい腹の立つ矛盾を抱えているのだろう。
使命。役割。主観。本望。願ったり、壊したり。
彼女の彼を願ったり、自分の為に壊したり。


今日は雨だ。天気予報でそれを見ていた僕は勿論傘を持ってきている。
昇降口に降りると生徒が溜まっていた。やがて黄色い声を上げながら色とりどりの花が開いた。
僕の傘はあまり公共の場では推奨できないビニル傘で、この色たちの中では少し浮いているようだった。まるで僕みたいだな、と少し自分に酔った。
黄色い声はやがて怪訝なものに変わった。少し風が強くなってきたのだ。僕は前に傾きながら地を踏む。と、前方から腕で気持ち頭を覆いながら駆け足でこちらに向かってくる女子生徒が見えた。
「涼宮さん」
オレンジのリボンは僕を知覚するとほんの少し表情を和らげた。
「キョン、先帰っちゃったみたい。……約束してたのにな」
じゃらりと、僕に繋がる枷鎖が音を立てた気がした。
僕が課した、戒めの為の嵩。過差に甘えたりしないように、雫に触れないように作っていた傘。だけど自らも雫に浸ってしまえば、彼女と同等になれるのだろうか。
さあさあと降る雫は彼女の身体の熱を徐々に奪っていき、比例して彼女の気分も吸収しているようだった。
そんな恐ろしい、しかし羨ましい、避けていた俗世の空気が染み込んだ雫。侵された彼女への、僕への手立ては――
「あっ、でも心配しないでね。これからあいつの家に行ってとっちめてくるわ。じゃあね、古泉くん」
既の所で、僕の枷鎖は壊れなかった。
かわりに、僕の嵩はより大きくなった。
彼女の顔には、美しい暈が浮かんでいた。


どんなに僕の存在が遠くからでもわかるくらい自分の規則を嵩にして肥え、醜い瘡を顔に蔓延らせ存在の証明をしても、
どんなに僕の存在をあくまでも引き立て役にするため邪魔な甘えを排除するために枷鎖で繋ぎ傘を差しても、
それが自分にとって利益も不利益も生じさせるのならば意味がない。
この感情を抑制するために俗世の雫から避けようとしていたのに。
この感情を解放するために俗世に傘をぶら下げているのに。
諦めているのに想われたくて、想いたくて、でもアダムとイヴは彼らであって。
……だから僕は今日も差して歩く。
いつ当たるかわからない雨に降られたいと、降られたくないと、嬉々としながら怯えながら傘をくるくる回すのだ。


2010,5,6

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