掛け算SS

□はちみつ
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さびしさが
どろりどろり と
とけてゆく
まるであまいはちみつみたいに
どろり どろり と
しずんで ゆく



浮足立った足をどうにか抑えようとする。
しかし自己欲には逆らえないもので、あたしは一気に階段を駆け上がった。
息が上がり、そのせいだけではない、秒針よりも早く脈打つ心臓をどうにか抑えつけ、あたしは勢いよく扉を開けた。
そこに広がっていたのは、最後にあたしが捉えて以来一寸たりとも動いていない、一枚のモノクロ写真。
「・・・どうして!」
腕を振り上げ彼の机を叩いた。だけどこんな悪態をついたって現状が変わるわけがない。やがて手に鈍い痛みが灯り始める。
がらんどうの空間で、あたしは小さく身をたたみうずくまった。



一日千秋なんて馬鹿らしいと思ってた。
そこまで恋い焦がれる相手など出来るはずがなかった。
だけど、ある日、あたしのこころに粘っこいはちみつを落とした相手。
彼はあたしに嬉しさと、楽しさと、心地よさと、愛しさの味の蜜を落とし、それは日々を重ねることによってビンに蓄えられていった。
しかし、ビンに落とされたのは甘い味ばかりではなかった。
あたしに対してではない時もある、悪口や、口喧嘩の内容。彼の親切が向いた相手があたしじゃなかった時の光景。
決して数は多くないけれど、それらはたった一滴でも、あたしのビンを蝕むのにちょうどよかった。



「どうしてそんな事言うの!?最低!あんたなんか嫌い、もう顔も見たくない!どっか行ってよ!」
「ああそうかい。お望みなら消えてやるよ。おまえとなんかもう絶対顔合わせねえよ!」



あたしのビンを苦い味でいっぱいにした、決め手のひとしずく。

あたしは暮れた。頬を止めどなく雫が伝った。
顔に光が射し込んで、気付いた時には、ビンはもう中身を失って向こう側を見渡せるようになっていた。
あの雫が、苦い蜜を流してくれたのかしら。
――彼に、謝ろう。
今日、絶対。
今度はあたしが。
あたしが、彼のビンにあまいはちみつを注いであげなければ。




彼はいつも、誰も教室にいない時間に登校する。
誰もいない・・・ちょうどいい。誰かと会話を交わす前に謝らなければ、いけない気がする。
あたしが彼のビンに苦い蜜を注いでしまったんだ、綺麗にして、とびきり甘い蜜を注がなければいけない。
「ごめんね」、と。
その言葉で、洗い流して、とびきり甘い蜜を。 
居るよね。
今日も、居るよね・・・。




ビンの封を切ったのは、教室のざわめきだった。
いつの間にかあたしは自力で自分の椅子に腰かけ、顔を伏せていたらしい。
見渡すと、真正面の棚だけ、ビンがひとつ入るスペース分だけ空いていた。
特に注意しているわけではないのに、四方八方から色んな味の蜜が飛び込んで来る。
嫌だ、嫌だ。
苦い蜜が落ちて来る前に、
早く、
はやく、あまいはちみつを―――。



さびしさが
どろりどろり と
とけてゆく
まるでにがいはちみつみたいに
どろり どろり と
しずんで ゆく


2009,2,05

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