掛け算SS

□キャッチボール
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投げたボールが返ってきたとき、この手にはその飛距離と重みがずっしりと感じられる。
キャッチボールは独りでは出来なくて、あたしはボールの感触を手で転がしながら、確かに自分は世界に、彼に存在を知られているのだと実感するのだ。
ふたりを享受したあたしは彼に何を返せるだろうか?
勢い付いた。手が撓り手首に衝撃を残す。
――ひゅう、と残像が視界から消えた。


二人きりの時間が長くなって間もない、いまこの瞬間。
無闇に乱射するのではなく、一応返答を待ってから適当に何の脈略も無く言の葉を投げる。
投げ始めるのはいつもあたしからで、キョンはそれに生返事、あるいは同意か、否定か、どちらとも取れない単語しか返さない。
最近授業中寝なくなったじゃない。ああ。どうしたのよ。睡眠ちゃんと取るようにしたの?いや。そう。……でも適当な時間寝るのは大切なんだからね。ああ。
――そうそう、いざとなったらやる気注入してあげるわよ。そうか。……もちろんその分対価は取るけどね!
冷たい声ではなく、意識が向いていないのではなく、あたしを見ていない訳でもなく。
彼は淡々と優しくあたしの瞳を見て穏やかに単語を返す。
「――ねぇ」
そこまで口を開いて、残りをつぐんだ。自然と目線は水溜りを向き、情けない自分の顔を反映させた。
こんなこと聞いても相手を困らせるだけだ。依存は魔物だ、好意と結果は反比例するなんておかしな話。
急に静かになってどうしようもなく息苦しくなったあたしは次の話題を模索し始める。あの話は出してしまった――
「お、虹か」
降って来た穏やかな声。鏡から顔を上げる。そこには息を飲むほど鮮明な七色が光っていた。
その自然さは力み過ぎていた自分の人工的な話もものともしないように誇らしげで、あたしは自分を恥じた。
「明日は晴れだといいわね」
彼はそれに同意すると、柔らかな声で彼から話を紡ぎ始めた。


投げたボールが返ってきた。
やっぱり彼女は力を入れ過ぎているようで、確かめるように視線が送られてきた。
俺は出来るだけ大きな弧を描く事だけに集中し、ボールを弾ませる。
――ひゅう、といつかの七色と同じ軌跡が彼女の視界に広がる。
ハルヒは穏やかに微笑った。


2010,1,16

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