足し算SS

□エバーグリーン
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街を歩けば聴こえる廉価版の誰もが口ずさめる歌が、レコードからカセットテープ、そしてCD、MP3になるように、
広く愛されればそれだけ長く存在を良しとされ、評価をいただけるのだ。

しかし常緑の樹がまとうものは新しさだ。
その辺の女子高生が追いかける程度のものではなく、もっと高貴な「新しさ」を、だ。

あたしが新しいものを求めるのも、所詮多数の真似事なのかもしれない。
黒板から目を離しそこに目をやると、真正面を見据える横顔が見えた。
あたしが常緑であることを良しとしたひと。不本意だが第三者からは『唯一の理解者』という位置付けにされているとかどうとか。

彼は新しいものには興味が無いらしい。
いつも『新しさ』の奥にある『常のもの』を見つめている。
それが『元からそうである』ことを認め、それを評価する。
彼がかける音楽は万人が好むようなポピュラーミュージックだ。
それを「常緑の樹だ」と皮肉を言ったりはしない。『“無視できないオリジナル”ありきの時代の音楽のサイクル』を肯定しているから。
しかし、安心できる過去の成功をなぞっているのだから100%安全圏にいる臆病者とも言えるのだが。
――そう、それをあの社会学者は常緑樹と批判したのだ。

無視できない要素を「良いもの」として受け入れる。
無視できない要素を「悪いもの」として受け容れる。

後者であるあたしは自分好みの、世辞にも万人向けとは言えない音楽を掛け続ける。
それはその層の僅かなフアン――故に彼らは必然的に深い想いを抱く――には好まれ、その希少性から崇められ、唯一無二のものにすり替わる。
その様な暗がりに棲み付くものは表の目にふれれば『新しいもの』と認識される。
誤って日のあたる場所に出た樹は他と同じように光合成し、緑色になる。
やがてどれが唯一無二のものだったか判らなくなる頃には、あたしたちはまた『新しい』――唯一無二のものを探し始めるのだ。

無からつくられたものは、驚くほどにからっぽなのだ。
それなのに、どこかが既製品と似ていると言う人がいる。
過去を持ち出さなければ、評価ができないのか。

「いまから、無から有を“創り出す”のは難しいと思います。ほら、この言葉もあなたの言う“既製品”ありきの言霊でしょう?」

“新しさ”というキーワードが既に、“過去”という問題を孕んでいる。
どんなに未知を求めても、必ずそこには誰かが一度見た要素が含まれている。
到達されていない景色が、霞む。

「………あたしは」
「ただ、評価が欲しいんですよね」

“あたし”が古泉くんの口を借りて言った。

「“現在”がいまこの瞬間まで続いているのは瞬間に消えていく刻があるからです。そんな無視できない“絶対的な存在”がある限り“新しさ”は必ず軌跡を纏わなければいけない、いや、“そう”なんです。それが真理です」

容易に受け入れられる安易な考え。
それが常識だから。それが一番理解しやすい不条理だから。

「あたしはそうは思わない」

そうでないと『自分』が思うならそれが本当。
――みんなが認めた現実なんか、“ただ面白いだけ”に決まってるじゃない。

「僕なら、あなたの存在を評価できます」

出過ぎた意見だけど、と彼は常緑の下で補った。

――『あたし』が受け容れられたところでそれはただの現実になる。
完成された過去を好かれても何も嬉しくない。
『あたし』というアイデンティティはいつも『新しさ』にあるのだ。
まあ、未だに手を掴まれないから、存在意義なんて今は風前の灯火なんだけど。

「別にこのままくたばるわけじゃないわ」

最悪の状況を想像したのか、いつになく鋭い瞳でこちらを見た彼に言葉を投げた。

「ただ、このまま何十年も無言で生き続けたらおかしくなりそうってだけよ」
そう、このまま大木に生長したら。

すぐに目を外に向けたからわからないけど、
多分、彼はひどく不愉快そうな瞳をしていたと思う。
そんなの知らない。
あたしだって、言いたくて言ってるんじゃない。

「僕にとっての『新しいもの』はあなたです」

うるさい。

「新しさを好むのは解ります。ですが、あなたにとっての“それ”はあまりにも大変なことではないですか」

あんたには関係ない。

「身近な幸福に目覚めてみませんか。なにもかも放棄したからと言って、望むものが手に入るとは限らないんです」

黙って。

「素直になって、僕を、そしてあなたという常緑を認めてください」

黙れって言ってるでしょう!

「……それなら、どうして泣いているんですか」


彼はあたしの歪んだ視界を本当に心配そうに覗き込んだ。


それでもあたしはかぶりを振った。
ほんとは。実は。そうだと――
――いや、口にするのは止めておこう。
どうして、世界の中心に“自分”が居るのだろうか。


「待ち続けたのに」


とてもとても長いあいだ。
まさかその間に、その辺の常緑樹と紛れて変わらないあたしなんかに興味を持つヒトが出て来るとは。
――なんて皮肉な話なんだろう。
“彼”の言葉の呪縛は現代でも解かれないようだ。

常緑樹。
どんなに新しさを望んでも、根本である原初の『あたし』は変われない。
まったく、アドルノは痛いところを突く。


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