掛け算SS

□嘘つきは仮定法
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『もしも』という仮定は好きじゃない。
後にも先にも『失敗』の予見、もしくは未練しか無いからだ。
それではただの『羨望』になってしまう。
あたしは仮定を現実にしたいから、自分に出来ることなら何でもやろうと思うのだ。
現実にしか興味が無いから、どんなに困難なことだってやってみせる。
理を、覆してみせる。
『願望』のwishが、キーポイントとして仮定法の構文に紛れて“実現不可能である”と暗示しているならば、
『願望』などすべて『本当』にしてしまえばいいのだ。
願うだけじゃ様にならない。合わせ鏡を慰めるより、その鏡を割ってやろうとあたしは決めた。
違いが何も生まれない、同じ動きしかしない世界に一石を投じようと、決めたのだ。
あたしが見たほかの世界。
あたしが持っていない、彼の、世界が見てみたい。
三年間の果てに見た、あのひかりにふれたい。
冷えた体に沁み渡った、あたたかさを知りたい。
あたしが追いかけているものを彼は持っている。
――いや、たぶん、彼自身が“そのもの”なのだ。










「――古泉。これで何回目なんだ」
「本当に回数をお答えした方がいいですか?」
「……いや」
傍で何も知らない無垢な表情で外界からの情報を一切遮断し眠っている涼宮ハルヒの顔を見た。
特になにかを失った訳ではない。もちろん得た訳でもない。悲しむ理由は無いのだ、彼女自身を考えれば。頭では解っている。
そう、ただ“愛情”以外は、なにも増減してはいない。
「“好き過ぎて苦しい”だなんて、普通の――たとえば僕なら、抱えきれないくらいの賛辞です」
その痛みをどうするのか。きっと彼女以外にはわからない問題だ。
だからあれこれと仮定する。仮定した上で、最善の方法を取る。
しかしそれは、少なくとも彼女にとっては最悪の方法だ。
少しでもなにかが違えば。彼女の能力がここまでのものでなかったなら。
きっとこんなことはしなくてよかった。

「……その言葉に応えてやりたかったさ」
深い眠りについているのだろうか、ハルヒは俺たちの会話に少しも反応することなく――当たり前なのだが――すべてを閉じている。
「お解りだと思いますが、彼女は唯一無二の存在です」
「そんなこと、性根が腐るほど聞いた」
「どうか怒らないで下さい。これが最善なんです」
嘘をつけ。
何十億の代償と引き換えにひとりの幸せを生むのと、
ひとりの代償と引き換えに何十億の幸せを生むのとではどちらが良いか。
ここでは、道徳的に考えるべき問題。
「彼女は……彼女は、この世界を均衡に保つための、ひとです」
“人間”という言葉は配慮を利かせた言い方なのだ。それくらい解る。
どんな思いでその言葉を使ったのかはわからないが、気分は良いものではない。
少なくとも古泉たちはハルヒを“神”であると思っているから。
彼女は神で、唯一無二の存在にしか与えられない、世界を動かす力がある。
しかし、それと同時に“一人間”なのだ。
どうして“神”と“人間”、両方の力を手に入れたのか。
古泉は、自身で世界を壊さぬようバランスを取るための枷だと言っている。
でも、古泉の仲間はそのバランスを信じられず、力はある条件下では暴走してしまうだろうという“仮定”をした。
可能性がゼロでない限り、どんなに実現性の低い仮定でも視野に入れるらしいのだ。
「仰る通りです。所詮は仮定法です。でもただの人間である僕たちには絶対に無視できない“可能性”なんですよ」
彼女の前では、どんな『願望』でも『しなければいけない』ものに変わるから。
その事実さえあれば、世界が壊れるなどという仮定に至るのは当然で、至極必然的な事なのだろう。

「涼宮さんが追っているものはご存知の通りですが、それは表面上のものです」
力無い目で古泉をとらえる。古泉は慣れたような口調で言葉を続ける。
「涼宮さんが一番欲しいもの。何だかわかりますか」
目を伏せた。これも何回繰り返しただろうか。
「あなたです。それはもう、あなた自身が彼女の世界であるかのように見られているんですよ」
「……そんな大袈裟な」
そうは言っても、頭には俺のような一般人には決して断ち切る事の出来ない仮定法が浮かんでいた。

“もしハルヒが、この足をつけている世界をそれであると見做さなくなったら――?”

彼女にとっては。
神にとっては、“もしも明日晴れたら”くらいの、単純な仮定法なのだ。


「仮定法が彼女を生んだのか、彼女が仮定法を生んだのか。
叶わないことに絶望し神になった。神の“無意識”が働いて世界のバランスを取るために仮定法が生まれた。
こんな見方もできると思いませんか」
「もし後者なら、本当にハルヒは創造主ってことじゃねえか」
「そうです。『愛』ひとつで全てを手中に収められる、この世界の主です」
「……愛を恐れなければいけないなんて、狂った世界だな」
「でも、あなたは原初であるアダムです」
「知恵の実は食べていない」
「これから食べるでしょう?」
言葉が出なかった。

「“もしも、世界が崩れたらどうするんです”」

それはwishともshouldとも、どうとも取れる構文だった。
もっとも、願ってはないのだが。
「世界は彼女が惜しいんです」
ハルヒをまるでモノのように表現する言葉に反抗する気は、起きなかった。
なぜならこのやり取りはもう何十回と繰り返されているはずなのだ。
“愛情”が生まれる限り変わらない現実。
変わるのはハルヒの中の感情だけ。
「仮定法で自らを騙せるうちは幸せですよ」
もしもと希望を持つ方が、すべてが事実だと知る者よりは、ずっと。
「僕だって、願わくば彼女には“普通”に幸せになって欲しいんです」
“普通”で彼女が本当に報われるのかは、今の俺にはわからない。
でも、“普通”であって欲しいとは、思う。
「おまえは、どんな状況も冷静に見られるんだな」
幾度も願望のつもりで吐いたそんな言葉は、毎回強い口調で返される。
「心の底から徹底的に分別出来ている訳が無いでしょう」
僕だって、こんな言葉は口が裂けても並べたくはないんです――。
古泉の言葉は力無く空間に消えていった。



「愛した記憶を消されるなんて、あんまりだと思わないか」
誰に言うわけでもなく、それは自然と口から出た言葉だった。
謝っても、全く本人の記憶にはない罪。
目覚めたら恋心が芽生える前に戻るだけ。
すべては世界の均衡を保つため。
「次は応えてやれたらいいのに」

ハルヒの口角が少し上がった。
気が、した。


2010,01,28

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