―戴国短編小説―

□繋いだ破片
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天窓の玻璃越しに映る、燦然たる明けの明星。李斎はそれを牀榻の中より眺めていた。朝の訪れを告げる白く霞んだ東の空は、否応なしに彼女を現実へと呼び戻す。自分ではない誰かの温もりなど、早く忘れてしまえ、と言うように。

――それでも……。

未だ内奥に帯びる微かな熱は、最愛の人との繋がりであり確かな絆に思えた。だが縒り合わせられ、解ける事のない糸だとしても、形ある物は何時か崩れ、散り散りになり、その存在自体が消えてしまうのだろう。だが、もしそうだとしても、今この時背中で感じる息遣いや温かさは、紛れも無い真実なのだと李斎は思う。そう思うと身内は幸福感で満たされ、心が震えるのだった。

李斎は軽く眼を眇め、衾の中から白皙の腕を伸ばす。翳した自身の手は普通の女達より大きく、すらりと指が長かった。この手に繋ぎ留められるもの、指の間から砂の様に零れ落ちて行くもの――。この手に残されるのは極僅かなものかも知れない。それでも決して失いたくないものが今の彼女には確かにあった。――そう思い至り頻りに自身の手を眺めていると、李斎のものではない、もう一つの手が重ねられた。彼女のそれより尚一層大きい掌。手の甲にぴたりと添えれ、強く指を絡めて来る。

「もう、起きていたのか?」

愛しい人の低い掠れ声。耳元で囁かれれば、小さくなった灯が再燃し、激情の波となって押し寄せる。それを胸の内で必死に堪え、李斎は硬く眼を瞑った。そうして重ねられた手を掌で受け返し、自身の胸に持って行く。背中から彼女を包む様に抱き締めていた男は、喉の奥で軽く笑う。

「驍宗様……何故笑うのです?」
「お前が、今にも消え入りそうな幼子に見えたからだ。一体誰が李斎のそんな姿を想像するだろうか。勇名を馳せ、余州に名高い劉将軍の今の姿をな……」
「お戯れを。弱みなど誰にも見せたくありません」
「ならば、それを見た事があるのは、私だけと言う事か」
「……主上……」

李斎は未だに笑う驍宗の指を強く握り彼の揶揄を窘める。それでも驍宗の笑いは止まらず、彼女の瞼に唇を落とし、すまぬと短く言った。驍宗の唇は、そのまま李斎の朱く染まる頬や耳朶、白皙の首筋や胸元をゆったりと辿り、最後に唇へと深く重ねられた。何時もは激しく求め噛み付く勢いで合わせられる唇。だがこの瞬間の口付けは、互いの存在を確かめ合い、その輪郭を象る全てのものを辿る、穏やかで優しい接吻だった。

「――李斎。忘れるな」

躯を離し驍宗は彼女の髪を一房取り、指にそれを絡めて軽く自身の方へ引き寄せた。先程までの笑みはなく、強い光を帯びる紅玉の双眸が、鋭く李斎の瞳を射抜いた。

「この髪も唇も、お前を象るその全てが、私のものだと言う事を。それを決して、忘れてはならぬ」

いいな?と、最後は語尾を弱め、絡めた艶のある髪に口付ける。李斎は驍宗の瞳の奥を見詰め軽く頷くと、潤んだ眼を綻ばせ穏やかに微笑う。そして縋り付く様に驍宗の躯を引き寄せ、力の限り抱き締めた。そこから伝わる暖かな体温。その温もりに包まれたまま首に貌を埋めると、馴れ親しんだ彼の匂い。それだけで李斎の心は十分に満たされた。深夜に逢瀬を繰り返し、その度に躯を重ね合い、愛を育む――。それは砕けた破片を繋ぎ合わせた様にぴたりと嵌まり、壊れる事は二度とない。

********

――驍宗様。貴方は今、何処におられますか……?

回廊の階に腰掛けたまま長い時間天上の月を眺めていた。慶の太師である遠甫が李斎の許から去り、どれだけの刻が経っただろうか。壊れる事のないと思われた破片は、余人の手により呆気なく粉々に砕かれた。それを元の形に戻す為に虚海を越え、慶に辿り着く。残された腕で再び失ったものを取り戻す為に。驍宗を見失った彼女の内奥の痛みは、自身の躯を引き裂かれるより苦しい。対になる破片を求めるが如く、李斎は空に向かって腕を伸ばす。驍宗と約束を交わしたあの日の様に。

煌々と輝いていた月は徐々にその存在を霞めて行く。代わりに在りし日に祖国で見た明星が燦燦と夜空を彩っていた。

――もう、夜明けは近い。

         <終> 20110302


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