―戴国短編小説―

□紅い抱擁
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丹念に磨かれた冷たい床の滑らかな感触。背が粟立つ程心地好く、李斎は軽く呼気を詰まらせ、固く閉じていた眼を微かに開いた。最初に視界に飛び込んで来たのは闇夜に彩られ、青みを帯びた柔らかそうな白い銀糸。そして真っ直ぐに自分を見詰める峻厳な紅い眼だった。

何が起こったのか一瞬李斎には理解出来なかった。下官を通して執務室に呼ばれ、人払いした直後、彼女を呼び出した張本人であるこの国の王――驍宗に、突然腕を引かれ今の状況に至る。

両腕を縫い付ける驍宗の力は強く手首の骨がきしりと軋む程であった。李斎はその痛みに思わず吐息にも似た切なげな声を漏らす。それは殆ど間近まで貌を寄せ、耳元で聞いていた彼の、奥深くを煽る事になるとも知らずに。

「――主上。お離し下さい」
「何故だ?」

王の言葉は反駁を許さぬ響きを帯びており、李斎は小さく息を飲んだ。その間中も強い光を放つ紅い瞳は彼女を捉え続けている。李斎は組み敷かれたこの状況に堪えかね、自身の躯を起こそうとした。だが、それに気が付いた驍宗の腕の力は尚一層強まり、逃れる事が出来ない。

「前から欲しいと思っていた」

堂室に響き渡る低く静かな声。

――何を。とは、李斎は聞き返さなかった。それが分からぬ程、幼いわけではない。彼女は強張らせていた躯の力を抜いて驍宗の燃え盛る様な双眸を見据えた。

「抵抗するのはやめたのか?」
「逃げようとするだけ無駄でございましょう」

その言を聞き、驍宗の腕の力が一瞬弱まる。それを李斎が見逃す訳もなく、勢いよく躯を反転させ、今度は彼女が驍宗を組み敷く形となった。そしてそのまま貌を近付け、彼の薄い唇に自身のそれを軽く重ねた。だが幾らも経たないうちに、離そうとした唇は、唐突に伸びてきた彼の腕によって遮られ、深いものとなる。驍宗の躯の上に自身の躯を乗せる様な形で抱き竦められ、李斎の頬が一気に上気した。

「――思っていたより李斎は大胆な女だな……」
「そう、主上が仕向けたのでございましょう!」

怒気を孕ませた李斎の言葉に驍宗は太い笑みを見せる。

「良い表情だな。――お前は私を煽るのが上手い」
「――何を…!」

反論しようと開きかけた唇を遮る様に、再び驍宗が自身の唇を宛行う。息も出来ぬ程深く合わされた唇から逃れようと、李斎は空気を求め身動ぎした。だが、その力強い接吻に、躯の奥深くが甘やかな快楽に侵食され、一気に力が抜け落ちる。

「私から逃れられるとでも思うのか。私は一度欲しいと思ったものを簡単に諦めるほど甘くはない」

強い光を帯びる峻厳な驍宗の紅い瞳。まただ、と彼女は思う。彼のこの瞳に一度絡め捕られれば、逃れる事は不可能に近い。李斎はそっと瞼を伏せ、力を抜き、驍宗の胸に頭を預けた。そして見上げると満足そうに笑う彼の貌が眼に飛び込んで来た。

――きっと、私はこの紅い抱擁から逃れられる事は一生出来ないのだろう……。

それも悪くないのかも知れない。李斎は頬を擦り寄せ思いを馳せる。自分は蓬山で出逢った瞬間からとっくに驍宗の紅い瞳に捕われていたのだろうと。

そこまで思い至ると全てを受け入れる準備をする為、再び固く眼を閉じたのだった。

         <終>20101025


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