―戴国短編小説―

□夏風
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湿り気を帯びた暖かい夏風が庭院を吹き抜ける。




その中を大小の人影が、淡い陽炎の様に映し出された――。










「ねえ、李斎。大きな魚が泳いでいるよ」


満面の笑みを浮かべ、池から目を離し、泰麒が振り返った。


見てみて……と、言う様な瞳で見詰められ、李斎はその上背のある身体を屈め、一緒になって池の中を覗き込む。


「本当ですね。池に棲息するには珍しい大きさです」


驚いた様に目を見開く李斎に、泰麒は堪らず声を上げて笑った。それを見ていた李斎も肩を竦めて苦笑いを漏らす。


そして二人で一頻り笑い合うと、泰麒は何やら思案顔で再び池に視線を移した。


「……お魚さん、気持ち良さそうだねえ……」










戴の夏は短い。冬は氷と豪雪とで覆われた無情の土地だ。





長く雪に閉ざされた季節が漸く終り、雪解け水が芽吹いたばかりの土に染み入る頃、肩を寄せ合い厳しい冬を乗り越えた人々が、短い季節を喜び、そして動き出す。


感慨深げに、気持ち良さそうに泳いでいる魚を見ていると、漸く戴にも夏が来た――と、いう気がした。










「ねえねえ、この魚……捕まえられるかな?」


泰麒の唐突な言葉に、はい?と、李斎は首を傾げた。


「あまりにも気持ち良さそうだから、僕も池に入ってみようかなって……いい?」


李斎はどうしたものかと、辺りを見渡した。此処は正寝に程近い庭院。まだ正午に差し掛かったばかりで、人の姿は殆どなかった。


泰麒と李斎と、そして、泰麒付きの大僕である潭翠を除いては。


遠くで泰麒を見守る潭翠に李斎は一度視線を投げ掛けた。だがその表情が変わる事はない。李斎は一息ついて振り返り、微笑んだ。


「此処の池は台輔の腰より少し深いだけですから多分問題ないでしょう」


でも皆に内緒ですよ、と言う様に、李斎は泰麒の手を軽く叩く。


泰麒は嬉しそうに頷き、破顔した。そして、いそいそと長袍やらを脱ぎさり、勢い良く池に飛び込む――その瞬間、大きく水面が水飛沫上げ、近くで見守っていた李斎をも濡らした。


冷たく、心地好い水飛沫を浴び、池の中ではしゃぐ泰麒を見詰めながら、李斎は目を眇めた。陽は大分高くまで昇り、暑いくらいだった。




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