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□桐壺の章
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「おい、大丈夫か?」

友人にそう問われた

「いや、大丈夫だ。少し考え事を、ね」

僅かに笑みを浮かべてみせると友人は安心したように話をし始める

「そういえば、お前の主人ってあの玉藻の君の父親なんだろう?
父親までもが入れ込むなんて余程の美女なんだな、玉藻の君っていうのは」

「玉藻の君は男性だよ」

「ふぅん。珍しくもない話、か。絶世の美少年と醜い大人達、ってね」

少し、違うように感じた
暦は寵愛を受けるだけの能のない少年ではない
もっと聡明だ
そして何より彼には忍野がいる
あの日感じたあの感覚
何故か異質で、空恐ろしく、おぞましいとすら感じるのに
世界の心理へ肉薄しているかのような、見透かされたような
忘れられないあの時間
確かに、あそこは世界の中心だった
全てを理解できると思った
自己欺瞞なのだろうが
それでもいい
もう一度
あと、一度

視界が黒く染まり、ふつりと意識が途切れた


忍野がいた
正確には忍野の声を聞き、忍野の存在を感じた

「君、馬鹿だなぁ」

軽薄に忍野は言う

「あんな深い所まで侵入を許しちゃうなんて」

くすくすと笑う

「確かにうちの御主人様は妖力が強いけれどあれはほとんど洗脳じゃあないか。
本人もとても気にしているんだ。僕を遣いに出しちまう位にさ」

彼は矢張り人などでは無かったのだ
我々と同じなどでは、無かったのだ
それが如何様もなく嬉しかった
特別なモノなんだと
彼が何なのかは知る由もないが、ただ彼は異種であった
その事実が欲しかったのだと知った。凡俗であって欲しくないのだと

忍野はまるで見透かしたように笑い

「あーあー、随分深みまで嵌り込んじゃって。
取り返しがつかない自信はあるのかい?」

―――取り返し
確かにそうなのかもしれない
忍野の言うとおり、彼が人ならざるモノであったとすると
これほどまでに強く想い焦がれるのは、自我を意識を占拠されているからに他ならない
そうだとすれば、それは致命的なのかもしれない
命の灯火は消えるのかもしれない
それでも構わない







とは思えなかった
彼を嫌悪したわけでも、彼に恐怖したわけでもない
それでも、死んでも良いとは思えないのだ
その程度の気持ちなのだと言う人も居るだろう
しかし、容易に命を賭する者ほど情に薄いと思うのだ
死してしまえば何も出来ぬ
ならば何としてでも生き永らえて、何をしてでも傍へ侍ろうと思うのだ
確かに私が死なねば彼が死ぬ、私が死ねば彼は死なずに済むというのなら
渋々ながら命を差し出そうとは思う
しかし逃げる余地があるのならば迷わず逃げ出そうぞ
無謀に命を落とす事は勇気と同義では無い筈だ

「強欲だね」

忍野は囁く

「そう、強欲だ。それでこそ人間だ。彼はね、我が御主人様は人が好きなんだ。
強欲で、浅はかで、それを隠しもしない君たち人間が好きで好きで堪らないんだ。
面白いだろう?

君も

彼に仕えたいとハ

思ワないカい?」

嗚呼、思うとも。傍で何でもしたいと。

目が覚めた。世界は白と黒で出来ているのだと識った
ざらざらした厭に肌触りの悪い世界で、彼の纏う朱だけが
流れるように美しかった

「僕と一緒に来るか?」

彼の瞳には僅かに金が混じって居る。それがちらちらと輝いて
妖しく、艶やかに誘う

「何処までも連れて行けると云うて下さるのならば」

彼は少し目を見開き

「誓おうぞ。違える事はない。我が手足となり、血肉となり、下僕となりて
我が為だけに死ね
決して我から離れるな
一時たりとも我より他の為に生きるな
何時であろうともお前は僕のモノだ」

そう宣言した





私は人で在ることを失った
彼の為に生きることを許された
それ以外を知る必要はないと識った

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