沖田

□顔のない月
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夜の海に埋もれる素足からつむじにキンと冷たさが走ってくる。波が押し寄せるたびに砂が被さる足先は暗くて見えない。

「寒くない?」
「寒いです」

冬に海に来て、海水にまで入ってるなんてとうとう頭がどうにかなりだしたのだろうか。暗くても水平線はわかる。捩れがなさすぎて羨ましい。

浸蝕

沖へ沖へと進んでいく。後ろから声が聞こえる。誰だろう。わたしは頭に浮かんだ言葉が気になるだけそれを確かめたいの。もっと深くにいけば分かる気がする。教科書にも参考書にも、ましてや誰かが教えてくれることがないもの。

スカートが軽い。浮かんでる気分。いや、浮いてる。お腹の中に居た時もこんな感じだったのかもしれない。心臓の鼓動と水が揺れる音だけが響いているの。


「千鶴ちゃん!」


ずしりと身体が一気に重くなった。重力下に戻されてしまった。

「風邪引いちゃいますよ」
「それ君が言う?いきなり見えなくなって…びっくりさせないでよ」
「大丈夫ですよ」
「僕が大丈夫じゃない」

しっかり全身浸かっていた身体に冬の空気は刺されるみたいで痛い。海の中なら平気なのに。

沖田先輩まで半分以上濡れてしまった。

「夜の海は危険だし勝手に入ったら駄目なんだよ」
「すみません。気をつけますから離してください」
「イヤだ」


"駄目"じゃなくて"嫌"

言葉を意味に変換できなかった。その違いも曖昧。
抱き上げられていたのに気付けば沖田先輩の腕の中。冷えてる。当たり前。こんな冬に夜の海なんて傍から見たら自殺か、ふたりで居るから心中か。何故だろうわたしは寒くないの。感じないから、わかってあげられない。


「着いて来たのは先輩じゃないですか…」


制服のまま、ここに来た。こんな時間になるまで留まるつもりはなかったけれど沖田先輩が居たからなんとなく帰る気がしなかった。


「千鶴ちゃんが泣きそうだったからね」
「そんなことありません」
「嘘つき」
「嘘じゃないです」

「なら、何が悲しいの?」


何が?この人はいつも理解してから聞くから悔しい。砂浜まで運ばれる。細かい砂が肌に張り付いて気持ち悪い。足はもう砂だらけ。



「大学、遠くに行くんですね」



波の音が静かになった。

人の将来にまで独占欲が働いた。全てにわたしが入っていられると思い込んでいた幼い自分。恥ずかしくて気付いたら電車に乗ってここに流れてきていた。

困らせるつもりはなかった。ただ、ひとりで気持ちの整理をすればせめて応援は出来るだろうと。踏ん切りも、もしかしたらつけれるかもしれない。


なのにこの人はわたしを追いかけてきて、隣に居た。

いつもみたいに。


「うん」

「頑張って、ください」
「嘘つき。落ちればいいとか思ってない?」
「そんなこと…っ!」
「思ってくれてたら嬉しいのに」


意味が分からないと制服を絞る沖田先輩を見る。水も滴るなんとやら。艶やかに様になる姿に見とれるのもそこそこにわたしのせいで風邪を引いてしまっては本当に困る。カバンに入っていたタオルで先輩の髪を急いで乾かす。わしゃわしゃと質の良い髪が束になる。潮の渇いたにおいが鼻につく。


「落ちないでください」
「随分と余裕だね」
「沖田先輩こそ」
「僕は余裕なんだよ」
「そうですか」

「気持ちと言葉が矛盾してない?」


管に突っ掛かっていた図星をつかれて沖田先輩の髪を乱暴に掻き乱した。"痛い"だなんて聞こえません。

「寒くない?」

近すぎる距離に満足するべきなのに、どんどんと浸蝕してくるこの波は退いてくれない。

「寒いです」

優しすぎて海が泣く。唸る波の音が叫びや唄に聴こえてくる。浮いているときは羊水の中での鼓動なのだと思っていたのに。


距離はゼロ


ひとり分のタオルにふたりが隠れる姿は子供の遊びみたいだ。狭い空間は酷く熱かった。熱くて柔らかい。そこからやっと、わたしは泣いた。



海がうたってる
足跡が枯れていく
境界線が絡み合う

月の表情は変わらないまま





100108
濁声


病み、病み、ヤミー!
たまには千鶴ちゃんが


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