斎藤

□かげおくり
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耳に僅かに届く聞き慣れた掠れた嗚咽と鼻を啜る音。橙色が眩しい夕方、近所の神社へいつものように弟を向かえに来た。小さな鳥居をくぐればこじんまりとした社と利益がありそうな狐が二匹こちらをじっとりと視線で挿してくる。初めこそは足を進めることを躊躇ったが今では慣れたもの。ゆっくりと大股で社の影へ行けば左手に竹刀を握りしめたまま俯いて座り込んでいる一。普段から表情を外にあまり出さないこいつが自分を出すのはいつもこの場所。以前、初めて道場へ行けと父上に言われ素直に、そしてどこか嬉しそうだった一は空が濃紺に染まろうとしても帰ってこなかった。この御時世だ、あまり遅くに外を出歩いていれば例え子供だろうと役所の連中の目に留まれば何をされるか分かったもんじゃあない。俺と父上は探し回った。早く、早く早く。見つけないと。そう思い来たのがこの場所で、一が居たのもこの場所だった。あいつは泣いていた。表情は見えなかったが大粒の涙がぽろぽろと地面へ落ち、空よりも濃い染みをつくっていた。驚いた。普段から誰の言うことにも首を縦に振っていた一が反発したというのだから。それと同時に、この役目は俺が担うんだなと直感した。

「一、」
「……」
「帰るか」

落ち着いた頃を見計らい、そう声をかければこくりと頷きゆらゆらと立ち上がった。袴に付いた砂を払ってやり、同じ歩幅で歩いた。

「一は上達が早いな」
「…え?」
「自分より図体がデカイ相手にも一本とっただろ?」
「……それは」
「それに竹刀を奮うのが滅法早い。近い内、いい武士になれるな」
「左利きでは、左腰に鞘を挿せば不利になります」
「右でいいじゃないか」

分かってはいる。右に刀を挿すことでどんな目で見られるかなんて。…だがな、

「いつか現れると思うぜ。てめぇの腕っぷししか見てくれねえ奴がな」

俺はいつかお前が左利きの武士として剣を奮う時代がくるって、分かる。なんかそんな気がするんだよ。

「そう、でしょうか…」
「あぁ。俺の勘は良い方なんだよ」
「よく道を間違えていますけどね」
「そっ、それとこれとは別もんだろう!」

くそぅ…、一気に可愛気がなくなりやがって。
ま、らしいっちゃあらしい…か。

「お、今日は影が長いな。夕日が近いからか」

一の隣に並び、伸びる影は勿論俺の方が長い。そんな風に密かに勝ち誇った俺の気を知ってか、無言で睨みつけ一歩二歩前へ出て俺より長くなった影に満足しているのか、そのまま歩き続ける一の影と自分の影をじ、っと見つめる。瞬きはしないで。目が乾いてきて涙が溜まるのが痛い。

(いち、に、さん…)

口の中で数を数えながら。

(ろく、なな、)

目に焼き付ける。時代や周りに流されずに進もうとしているこいつの姿を。今は前にある、その影を。

「……じゅう」

いつかは纏わり付くように後ろにくっついて離れることがない影が、付かないように。
空へ送った二人分の影が、乾いた目に白く映る。じわじわと水分を求めて滲んでいく視界にそれは消えた。


今日の夕日は酷く明るい。もう夜なんてこないと錯覚させるような、そんな夕日だった。





091016


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