ぎんたま2

□まほうのことば
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※読み切り単品です。自覚無自覚となんとなくリンクしています。


まただと思った。またかと笑った。
気どられぬように。



まほうのことば




なんだかなぁ。


たまに暖簾をくぐると、顔を合わせる男がいる。

そして大抵そんな時は隣しか空いていなくて、渋々そこに腰を下ろす。特に会話などもない。だが、店の親父に親しげに声をかけるのを否が応でも目にしてしまう。ついでに聞こえてくる会話から、なし崩し的に男にまつわる話に詳しくなってしまった。

こんな縁でもなければ、到底知ることもなかったような話に。


例えば、朝は従業員の少年に「またですか」と呆れられながら寒い中布団をひっぺがされること。生卵以外のおかずの日は、居候させている娘と少年の三人で弱肉強食の取り合いになること。結果として、自分と少女でほとんどを食べてしまうこと。そしてそれは主に少年がごはん当番の日だということ。
知ったからどうだという感じだが、なかなかどうして微笑ましい情景が浮かんでしまうのだ。この男が気を許しているところが。

今日も今日とて、つまみを注文する時にちらりとその表情を盗み見た。いつも通りふやけたパスタのように締まりのない顔をしている。酒の入った頬は少し、赤い。相変わらず人目を惹く容姿をしているのに、半分閉じかけた目蓋がそれを半減させていて、もったいないと少し思う。別に深い意味はない。しばらく観察していると、やおら男が口を開いた。

俺はね、4文字のことばでしあわせになれるんだ。

隣に座る銀髪の男が幸せそうにそう言うものだから、隠すのも忘れ思わずまじまじと顔を見つめてしまった。


***


はて、4文字とは何だろう。
この男のことだからパチンコとかとうぶん、とかそんなところだろうか。はたまた焼肉、ジャンプ、のたぐいかもしれない。欲求にはどこまでも素直な男だから。褒めるつもりもけなすつもりもないが、事実その通りだろう。
果たして、同じようなことを考えただろう人間がもうひとり。目の前にいた。
親父である。ああそうと酔っぱらい相手に気のない相づちを打つと、男はそれに気を悪くした風もなく、ちびりちびりと手酌で日本酒を煽っている。

その後話題が何度もあっちこっちへ飛んで、しばらくは最近の自分のところの財政状況やらなにやらお前はそもそも税金も払っていないだろう(この調子だと家賃や従業員の給料もあやしい)と思われるのに男はとりとめもないことをぶうぶうと親父に語っていた。のに、二十分後それがぱたりと止んだのだ。
追加で頼んだふろふき大根がよっぽどお気に召したのか、屋台は急に静かになった。
いや、わかっている。ここの大根は思わず無口になるほど美味しい。よそで食べるのとは何かが根本的に違う。
一度どうしても気になって、だしを何で取っているのか親父に聞いてみたことがあるが、「そりゃあ企業秘密ってやつですわ」と人好きのする笑顔を向けられては、あとはここの常連になるよりほかなかった。まったく商売のうまいことだ。


***


手持ち無沙汰ならぬ耳無沙汰になってぼんやりと塩辛をつつきながら回想にふけっていると、不意に遠くからパトカーの音が近づいてきた。
それからどこかの店先で若い女が大声をあげるのと、ゴリラの求愛とも悲鳴ともつかぬものが聞こえた。どこかの動物園から脱走でもしたのだろうか。次いで若い男の何か言う声。

──やはり飼育員だろうか。


頭の中で今日のニュースを一通り振り返っていると、ガタンという音がした。


驚いて振り向く。

隣の男がひじかた!と声を上げて席を立ち上がったところだった。


あ。

何か、わかってしまった。
いや、あんなものを見せられたら、100人中100人が声を揃えて正解を導き出すに決まっている。タモさんも真っ青だ。


おやじ、おかんじょう!ひょうはちゃんと ははってくから!
あいよ旦那。

呂律も足元もどことなく頼りないが、表情だけはことのほかしっかりして見えた。目蓋がわずかに上がり、その奥に隠されていた瞳が、弾けんばかりの喜びをたたえている。口角も、いつもの人を小馬鹿にしたようなものではない、たまらない!と心の声が聞こえてきそうなほど上がり、緩みきっている。
しあわせと顔に書いた男はそのままちょっとふらつきながら駆け出していった。
......どうでもいいが、『今日はちゃんと』って問題発言ではないのか。いいのか親父。いろいろと。


「いやぁ若いって良いねぇ」

後ろ姿を半ば無意識に見送っていたのが、親父の一言で引き戻される。
知るか。という言葉を飲み込んで咳払いひとつ。

「親父、鰹のたたき一つ」
「あいよ、アンタも飲んだくれてないで早く世話してくれる嫁さん貰ったらどうだい」
「余計なお世話だくそじじい」

ギロリと視線で威嚇すると、猪口に残った一口を嘗めるように胃に収めた。ちくしょう、味がわからなくなっちまったじゃねぇか。ケラケラ笑う親父の声をBGMに、男が去っていた方角を眺める。
あっちは確かスナックやなんかのある歓楽街だ、とふと思った。

くだらない。

まあ所詮親父がどんな方法で大根を煮ていようが、あの男がどこの誰に懸想していようが、どれもこれも自分には関係のない話なのだった。



かぶき町の夜は今日もこうして更けていく。


…………………............
名もない常連の男。

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