信憑性  ★
心拍数  ★★★
探索時間 30分




【概要】
鎌倉市稲村ヶ崎海岸東側。
立入禁止看板を過ぎた岩場にある素堀りの洞窟。

昔は伏龍陣地と洞窟型の砲台があったそうだが、現在は崩落や土砂で洞窟内が塞がれ、放置されている。

伏龍とは兵士が竹やりに機雷をつけて潜水し、頭上を通過する敵船を攻撃する「水際特攻」で、実戦は無かったが、
何十人という単位の人が訓練中の事故で命を落としたという。

稲村ケ崎は南北朝時代1133(元弘3)年、「新田義貞」が「鎌倉攻め」を開始した古戦場でもある。

【調査】
桑田圭介の映画「稲村ジェーン」でも有名な稲村ヶ崎公園ですが、この日はカップルが1組に釣人が2人と人気は殆どありませんでした。

「立入禁止」の看板のせいか心霊スポットとしての認知度は低いですが、要塞マニアの間では有名な様です。

ここには2度訪問しましたが、1回目は満潮のせいか海水が洞窟内まで浸入してきたため、危うく出れなくなるところでした。

2回目は干潮の時間を調べて訪問ました。
前回は暗くて気付きませんでしたが、洞窟から岸壁づたい右手に機銃陣地の銃眼が見えたので、それを目的地として侵入します。

稲村ケ崎洞窟には入口が3つ存在し、1つは国道134号線に面した場所にありましたが、現在は塞がれてしまった様です。

2つ目の入口は相模湾に直結しており、3つ目が今回僕たちが今回侵入した岩場の間の入口です。

調査の方は、残念ながら大量の舟虫が発生していたため、洞窟の途中で断念して戻りました。
たぶん2度と行きません。

【検証】
他サイトによると洞窟は全長140m程で、途中から分岐しているという。洞窟内はホームレスが生活していた痕跡があるらしく、現在ではハトの住処となっているようだ。

今回、目的地にした銃眼までは洞窟が途中で塞がれてしまっているため、現在は辿り着く事は出来ないという。

なお、稲村ヶ崎公園内にあるブロンズ像は、明治43年(1910)小学生1名を含む「逗子開成中学」の12名がボート遭難事故で亡くなったための慰霊碑で、抱き合ったまま遺体となって発見された兄弟がモチーフとなっているそうだ。



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