信憑性  ★★★★
心拍数  ★★★
探索時間 10分

※写真は後日昼間に撮ったものです。


【概要】
小田原厚木道路箱根口ICから国道1号線を2kmの三枚橋を左折、県道732を9.5km。

昔、箱根関所を手形を持たずに通り抜けようとした百姓の娘お玉が、処刑され、その首を洗った池である。
村人達が少女の慰霊を込めて以来らお玉ヶ池と呼ばれるようになった。

旧東海道に佇む静かな池だが、夜になると雰囲気が一変し、池周辺の遊歩道には時折花束や御札が備えられているという。

【調査】
神奈川県には数多くの慰霊碑がありますが、その中の1つでお玉悲話と呼ばれています。

旧東海道の途中にあるため駐車場はなく路駐になってしまいますが、それが嫌な人は箱根駅からバスで訪れると、丁度バス停の近くがお玉ヶ池となります。


日中は静かな観光地となっていますが、夜になると街灯もなく足場も悪いため、別の意味でも危ないスポットとなります。

村人達の慰霊の甲斐あってか心霊は出ませんでしたが、寂しい感じの池でした。

帰り厚木方面に向かう途中、タイヤに何かゴミでもついたのかパタパタという音がしばらくついて来たのを鮮明に覚えています。

その後は同じく旧東海道にある天山露天風呂に立ち寄り、心身ともに浄化され、畳の間で雑魚寝してしまいました。

【検証】
箱根関所について。

元和5年(1619年)に徳川将軍2代目秀忠に諸大名の謀叛防止の為に開設され、「入鉄砲に、出女」といいこの2つを厳重に取り締まっていた。

江戸時代、関所破りは重罪で逮捕場所で磔に処された上、獄門打ち首だった。

なお関所破りを行った罪人は5件中6人いた記録が残っている。

以来、箱根関所は250年に渡り東海道を上り下りする旅人を苦しめ続け、明治2年に廃止された。

お玉ヶ池について。

以下、上記の説明文を複写↓
「元禄15年(1702)4月27日。
伊豆大瀬村太兵衞の娘 お玉は関所破りの罪で処刑されました。

お玉は奉公先の江戸新田嶋から国元に帰る途中、手形がないので箱根関所を通る事が出来ず裏山から通り抜けようとしたのです。

処刑は、お玉が本道をそれて裏山である屏風山に踏みいった坂道の所で行われ
お玉の首を薺ヶ池で洗ったといわれています。

このためいつのころからかこの池がお玉ヶ池、坂がお玉坂と呼ばれるようになりました。」



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