子供の頃は、早く大人になりたいと何度も思ったものだ。でも実際大人になってみれば、そんなことを思っていた自分に嫌悪感を抱くほど、大人になるということは残酷だった。
「それじゃあ、お気をつけて」
お店から出る間際、マネージャーがそう言った。ついでに同僚たちが陰口を叩いているのが聞こえた気がしたけど、それはいつものことなので気にしない。
でも、一番だからって調子に乗ってる、だなんて、言ってて悔しくないんだろうか。だいたい具合が悪いんだから、早退するのは必然的だ。
・・・まぁ、体調管理をしっかりするのも、社会人にとっては仕事のひとつかもしれないが。でもずっと、私は休みを貰えずにいたんだから・・・疲労があなたたちと比べ物にならないのよ。嗚呼、いつかこの言葉を同僚たちに言ってみたい。いったいどんな顔をするんだろう。考えただけでも愉快だ。
「お、もう仕事終ったのか?」
一人で頭痛と闘いながら、しょうもないことを考えていれば、間の抜けた声が頭に響いた。急いで声がしたほうに顔を向ければ、何度か見たことある顔が視界に入る。
「・・・お疲れ様です、まだ仕事中ですか?」
無理矢理作った自慢の笑顔でそう問えば、男は残業中と呑気に答えた。
「花屋にも残業とかあるんですね」
「まぁな、ここの店長、人遣い荒ェし」
そう言って頭をボリボリと掻く男は、とても眠そうな顔をしていた。寝不足なんだろうかと思ったが、この人の場合いつもこんな顔をしていた気がしたので、敢えてその話には触れなかった。
うちの店に花を届けに来たときも、こんな顔をしていたし。よくもまぁそんなダルそうな顔で、接客が勤まる。私の職場とは大違いだ。
「お忙しいんですね・・・でも、たまにはウチのお店にもいらして下さいね?もちろん、お客さんとして」
「いや、行きてぇのは山々なんだけどよォ、あんたんとこのキャバクラ、ちと高過ぎねぇか?」
「ふふふ、ちゃんとサービスしますよ」
にっこりと効果音がつくほど、私は満面の笑みを浮かべた。数年で身についた、条件反射のようなものだ。
具合が悪いときも機嫌が悪いときも、哀しいことがあったときも。接客となれば、こうして笑顔を誰にでも振りまく。
最初のうちは抵抗があったものの、慣れてしまった今となっては、もう苦ではない。自分の感情は全て無視される。そういう世の中だ。
「それじゃあ、またお店に綺麗なお花、頼みますね」
「おお、任せとけ」
最後にまた笑顔を見せて、私はその場から立ち去ろうと一歩踏み出す。
「・・・なぁ」
それを男に呼び止められ、私は歩みを止めた。ゆっくりと振り返って、私を呼び止めた花屋の店員に視線を向ける。
「何ですか?」
「いや、何かあったのかなーって、思ってよ」
「・・・どうして、ですか?」
「あー・・・俺もよく分かんねぇんだけどな?こう・・・無理して笑ってるっつぅの?いつもより元気ねぇみてぇだし」
曖昧な言い方をする男に少し苛立ちながらも、完璧だったはずの笑顔を見破られ、私は唖然とした。今までどんなときも、どんな人にも見破られなかった、作り物の笑顔。無理してでも作ったその顔は、誰にもばれることなく、完璧だった。
それを、まだ数えるほどしか顔を合わせていないこの男は、見破って見せたのだ。
「そんなに、疲れた顔してました?」
「いや?笑顔は完璧だったぜ」
じゃあ何故・・・口から零れそうになった率直な疑問を噛み殺し、私は男から花へと視線をうつした。今まで完璧だと思っていた笑顔を、見抜かれたという事実から目を背けたくて、私は話題を変えた。
「・・・今日も、綺麗な花が並んでますね」
「あ?ああ、前に並んでんのは今日仕入れたやつだからな、買い時だぜ?」
「ふふ、ちゃんとお仕事もするんですね?」
「おいおい、俺もちゃんと社会人だって」
そう言って苦笑をする男を見て、私もつられて少し笑った。ついでにその人の胸元にある名札を見て、彼の名を確認した。坂田銀時と表された札は少し汚れていて、やはり花屋も大変なのだということを私に伝えていた。
「何か買ってくか?サービスするぜ」
にやりと笑ってそう話す坂田さんは、どこか楽しそうで、私は少し羨ましくなった。楽しんで仕事が出来るなんて、この人は幸せだ・・・