赤紅の傷痕
□一
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揺れる。
両足を甲板につけて立っているつもりだが、からだは波の浮き沈みにあわせて、ゆうらりゆうらりと揺れている。
長江の赤壁に、曹操は軍艦を並べ、対する孫のものどもも軍艦を並べ、睨み合いが今もなおつづいている。
空は快晴で、薄い青が澄み切り渡っているのだ。その下で聞こえるのは、波のざわめきという、嵐の前の静けさとでもいうのか、穏やかだった。
水の香りを含んだ風が、船に立つ男ふたりを撫でて流れてゆく。張遼文遠と、雀(シャン)である。
「張将軍、水面の馬はいかがですか?」
「水面の馬?」
「船のことさ。この南の地で、北の馬に代わるのは、船しかない」
張遼は、遠く前方にある孫の水軍から、雀に目を向けながら言った。
「戦に注文をつけるのは、いささか気が引けますが、生きている馬が一番ですな」
「なら、陸から連れてくればいい。甲板の上で乗れば、問題は解決です」
「雀殿はご冗談がお好きのようで」
「ええ、ええ。そりゃあ、もう、大好きで仕方がありませんよ。だが、かく言うあなたも、相当の物好きだ」
「はて?そうですかな」
「ああ、張将軍。夏侯将軍から預けられたお荷物に丁寧な言葉は無用ですよ」
「癖です。どうぞお気に召されるな。貴殿こそ、砕けた言葉でよい」
この男は、めずらしい人間だ、と雀は思った。ちょっとだけ張遼のことは知っていた。こっそりと幕間から武将たちの会議を覗いたとき、そして長坂波で遠巻きにじっとしていたなかに居たのを覚えている。騎馬が得意な将軍だったはずだ。たしか、曹操の精鋭騎馬隊である虎豹騎の隊長の曹純と互いの矜持をぶつけ合っていた。
雀が血の海で、夏侯惇を抱えていた記憶は、張遼にとって鮮明だろう。ほとんどの兵たちは、雀を敬遠している。普通の人間にとって、雀という美しい男は、とてつもない艶を持ちつつ、得体が不明な化け物でしかなかった。しかし、抗いがたい魅力もあり、惹かれているのもたしかだった。
「では、敬愛をこめて文遠と呼ばせていただきますけれど、よろしいですかね?」
「ふふ。夏侯元譲殿のように、きみ、でもいいですが」
「まあ、ともあれ、文遠」
「はい」
「俺が恐くはないのかい」
「恐怖はありませんね。雀殿に、なぜ恐怖する必要があるのか」
「曹丞相に従うやつらは、みんなそうさ。血塗れのあれを見ていた輩はもちろん、そいつの知り合いも口伝えで聞いて、ふくれあがった妄想といっしょに、勝手よく、俺のこと鬼だって言っていやがる」