赤紅の傷痕

□一
1ページ/5ページ




七日。いや、八日だ。

人間、当初は慣れぬ仕業であっても、時間と労力をかければ知らずのうちに順応するものだから、不思議である。手順が分かれば、そのとき行うべき対処も自ずと知れる。生きるなかでの流れとして受け止める。縁談がまとまり、半ば不本意に妻を娶ることも。理嬢をもう一度世話することも。

夏侯惇の屋敷はそれなりに広い。理嬢と、侍女、使用人たちがいても、住むには十二分すぎた。庭も広く四季にふさわしい花と植物が謳う。

夏には、蓮が群れる。その池のすぐそば、木々がうっそうとするなかに、ひっそりと小さな四阿だったものがあった。

四本の柱に囲まれ、薄い慢幕が壁の役割をはたしたのはかつての話。ひとときを優雅に過ごすものでもなく、牢と言うのがもっともかもしれない。壁は石を積み、隙間を粘土で固められ改修された。出入り口の扉もあり、閂がついてある。

ずっと以前に、夏侯惇も知らない先代の誰かが、悪事を働いた使用人を入れるために造り、躾を兼ねて幼児も閉じ込めたりもしたそうだ。今では、そのようなことに使い道などないから、もっぱら物置としていた。

理嬢が居る。

そこに入れろと命じたのは、紛れもない夏侯惇である。

理嬢の周辺の世話を任されていた女たちは、眉を逆立たせた。季節は晩秋。あんな冷たく狭い場所に、理嬢さまを閉じ込めるのかと叱責された。凍えて死んでしまうと。

夏侯惇は鬼ではない。狭いなかに、寝台を、何枚もの帳を、桃の香水に香炉を、火鉢を、花瓶に生けた花をと、目で楽しめるであろう華やかさをと、できるだけの配慮を施した。それでも、侍女たちには冷血な主人と見えていることだろう。悪いことではない。事情を知らぬものたちを、咎めることなどできない。事情を知ったうえでの決断を下した夏侯惇は分かっている。

理嬢が殺した。

恐れていたことが起こってしまった。

目覚めたら、襲いくると思っていたが、違った。ただ、めちゃくちゃに暴れる。涙を流し、震え、なにかに恐怖するかのようにうなされて叫ぶ。瞳も茶色いままで、正気を失い無我夢中に、触らないでと顔を知っているものであっても視界に入ると、壁と壁がつながった隅に逃げる。頭を抱えうずくまった。だれかが触れようものなら、それこそ気が触れたがごとく、狂い暴れる。

尋常ではない力だった。細い腕が、まるで別の生き物のようにうねり躍る。侍女たちだけでは押さえきれず、夏侯惇と押さえ込んだこともある。夏侯惇が加勢を要したのは最初の一日のみだったが、発作的な取り乱しは理嬢に危険を伴わせた。いつかは、錯乱したまま自身をも傷つけかねない。

すべて、夏侯惇が決めたことだった。

手荒なまねだと蔑まされるが、四六時中、理嬢の両手は合わせられ、痛いほど固く帯びでくくりつけられた。そうでもしなければ、世話さえもできない。これで、ようやく自分と侍女ひとりの手で事足りる。

仲間うちで決めたことか、夏侯惇とともに世話をするのは、理嬢よりすこし年下の、明雪という名の女だった。

「理嬢さまのご昼食のお時間です」

食事は日に三度運ぶ。明雪が善を持ち、開いていた扉の脇にひっそりと立っていた。

「行こう」

書きものをしていた筆が置かれる。

夏侯惇の後を、しずしずと明雪はついてくる。明雪は物静かな女だった。目元はひややかで、線が細い。表情はあまり変わることはなく、名にあるように、雪のごとき冷たさが常に漂っている。

閂をはずし、扉越しに呼びかける。返事がなければ、眠っている証拠だ。夏侯惇がなるべく音を立てずに、入る。

高窓からの日の光が、寝台を包み、ちょっとこぼれたきらめきが、猫のように身体を丸めて眠る理嬢に注がれていた。

夏侯惇は呼吸を静め、気配を消して近づき、寝台に膝をついて娘の身体を抱えた。口を塞ぐ。揺らす。起きた理嬢はくぐもった声に喉を震わせて、暴れた。痙攣のように錯乱する。固い頭が顔に当たることも、膝が腹へ入ることも、つながった両手が胸を打ち、首筋や腕に肘を当てられることにも慣れた。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ