赤紅の傷痕
□二
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うとうととし始めた矢先、髪を軽く引っ張られた。慌てて、瞼をあけると、見上げている曹操の顔がある。
窓から差し込む陽光は、ほどよい心地である。そんななかで、曹操は理嬢の膝を枕に横になっていた。横になりながら、猫の百合と戯れている。
「そなたは、いつも寝ようとするのだな」
百合が立てる爪の相手をしながら、言った。
「すみません。最近は温かさが、ちょうどよくて」
「責めているわけではない。思ったことを言ったまでのこと」
「そうですか」
「だが、もう少し経てば寝れなくなるな。寒さが厳しくなる」
華北は冬が早く来る。
「はい。収穫の季節が終わったら、あっという間に、冬ですものね」
「戦もある」
理嬢は息を小さく呑み込んだ。戦。血。ここ最近、宮廷、丞相府内での殺しの件は、風にさらわれたかのように消えた。安堵するはずのことなのに、理嬢は背筋を凍らせるものを感じていた。
血、という赤い液体に、敏感になる。血を連想するものが嫌いになった。食事として出される料理も、肉や魚を口にしていなかった。口にしないものは、少量だが百合に与えていた。
「皆さま、出て行かれるのですか?」
「今回は、ちと長くなる。留守は丕に任せるつもりだが、そなたをおいてゆくのは少々心細い」
「孟徳さま」
らしくない。
「できたらそなたも連れて行きたいものよ」
「わたしは、なんのお役にもなりません。武術をたしなんだこともありませんし、足手まといになってしまいます」
「しかし、馬には乗れるだろう?」
「すこしだけです」
「それだけでも十分だ。戦はな、相手を殺すだけではないぞ。策、兵糧の管理、味方をどれだけの犠牲で終わらせるかを計算することも、大切なのだ」
「わたしには難しい事柄です」
「孫子兵法という書がある。それを読んでみろ」
「兵法書ですか。学のないわたしが読めるでしょうか」
「字が読めるだろう」
「字が読めても、理解できなければ、だめです」
曹操は身を起こし、理嬢の頭を撫でる。日の暖かさと身体の温かさに、近いうち戦があるということを忘れさせる。この空間は、俗世とはかけ離れた安寧の地だった。
理嬢は立ち上がり、はにかむように、ほほえんだ。
「お茶をご用意いたします」
菓子やら果物やら、いろいろと並べられている卓で、茶器を手にし用意をする音がする。耳にしながら、膝に乗り出す白い猫と戯れた。百合は自分に懐いているのか、敵意を剥き出しにしているのか分からない。甘えてくるのかと思えば噛みつき、噛みついたと思えば、頬を寄せて甘えてくる。