赤紅の傷痕

□五
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頬に、ざらりとした感触が広がり、曹操は目を勢いよく開けた。反射的に手で払うと、小さな獣の首を鷲掴みにして捕まえていた。どうやら、この獣の仕業のようだったらしい。半身を起こし、視線を合わせた。

「そなたか」

白い獣、百合は鳴きながら、金色の瞳で曹操を見ていた。まるで、ご主人を早く返せ、というような目つきだ。ご主人さまは、自分の腕のなかで丸くなって夢極楽にて休んでいる。

鳴く。

かえせ、かえせ。と連呼している百合に、曹操は悪戯を成功させた子どもの笑みを浮かべた。安らかなひとときを邪魔された仕返しか、宙に浮かせたままの状態を保つ。


「悪いなあ、そなた。そなたの理嬢は、我の理なのだ」

割り込んでくるなよ。枕元へ下ろしてやると、反発するかのごとく、小さく鳴きながら理嬢にじゃれて、顔を舐めようと飛びついた。

「こら」

また、百合は首を捕まれ宙に引き上げられる。抵抗として四本の脚をばたばたと、せわしなく動かし、だだをこねた。はなせ、はなせ。はなせよ、ちくしょう。悲しいかな。小さい身に相応の小さき抵抗は曹操には届かなかった。無駄だと知ると、睨みつけてくる。

「気の利かん阿呆だな、百合は。せっかく気持ちよう寝ているのに、邪魔をするでないわ」

曹操を映す金色の瞳。嘲笑する月を思い出させた。

「心配なぞするな。もう理嬢に手を上げるようなことはせぬ」

そう、きっと。だが、百合は信じられるかとでも言いたげに、鳴いた。左右に大きく振ってやると、甲高い声を上げる。耳につく。

「うるさいぞ、百合」

曹操は手を放した。

「静かにせよ」

見事に着地した猫は、悔しさげな声を残し、寝台から飛び降りた。行くあてのなく部屋のなかを、うろうろと歩いたり、寝台の四方に掛けられた薄布に爪を立てたりした。

ふてくされる猫の主は、まだ、極楽のなかだ。いじらしく、丸くなっている。

身を沈ませて理嬢を抱き直す。布団を肩までかけてやると、身をよじり、すり寄ってくる。怖い夢を視てぐずる赤子をなだめるように、曹操は理嬢の背をさすった。

外から、かすかに鳥のさえずりが聞こえ始め、窓から薄い陽光が射し込んでいた。どこかの隙間から、風が入り込んでいるようだった。肌の火照りには、ちょうどいい。

いたずらに、理嬢の頬や睫毛を指先で、強く弱くつついた。
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