赤紅の傷痕

□五
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翌日、夏侯惇は黙って理嬢の部屋に入った。雀が寝台で横になり、寝ていた。白い服は無造作に床にほうり出されているが、刀は卓の上へ置いてある。

そっと寝台を覗く。顔は理嬢のものだったが、寝顔は似ていなかった。生きている色が見える。静かに生気を補い、蓄えている。理嬢は、人形のようだった。

気のせいか、昨日よりも少しだけ顔の傷が、目の下の青い痣が濃くなっている気がした。

声をかけると、薄く目を開いた。すると、首を冷たいものを舐める。一瞬、起きた出来事が解らず、硬直し、顔がこわばった。前にも同じことがあった。理嬢が、俺を殺そうとした。

今は、理嬢の顔をした男が、俺を殺そうとしている。

胸ぐらを掴まれ、引き寄せられる。短刀が、首を舐めて空洞のほうの目に押しつけられている。

首筋から薄く、紅い糸が垂れていた。

理。

瞳が、紅かった。理嬢の顔らしきものが、近い。理嬢が、また私を殺そうとする。

殺すのか。殺されるのか、俺は。死ぬのか、俺は。夏侯惇には、それが理嬢にしか見えない。手は腰の細剣に触れなかった。

俺は死ぬ。死の近さを感じていながらも、どうしてか穏やかだった。

胸ぐらを掴んでいた手が、胸を押す。夏侯惇の身体が、後ろによろめいた。雀の瞳の色がもとの色に戻る。雀は、短刀を床に投げつけた。突き刺さることはなく、円を描きながら床を這い、壁にぶつかり動きを止める。

「すまない」

「べつに、いい」

「やけに冷静だな。普通なら殴るなり、罵るなりするだろう」

「前にも、同じようなことがあった。気にせん」

「前にも?」

だれに?つまらないことだ。理嬢のことは、誰にも口外しないと決めていた。身の細胞が、目につくことがないようにしてしまい、忘れてしまえばいい。それまでの辛抱だった。首から流れる血を、指先で拭う。

「悪いことをした、夏侯惇」

「いいと言っているだろう。それよりも、宮廷へあがる。支度しろ」
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