赤紅の傷痕

□一
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「なかなか頭の切れる男らしい。孫の軍事面はやつに一役買われている」

「周郎は楽器を戦の合間にでも鳴らして、士気を鼓舞しようとしているのでしょうか」

「優雅だ。我々の本陣まで聴こゆるかな。夏侯惇、そなたもしてみては?」

「よしておきましょう」

箏の高く細い音が、長く響いた。

切ないほど余韻を引いて、ぷつりと途絶える。

「おおよそ、ならぬ想起をしてしまいそうですから」

戦において命取りになる行為。かすかに、唇がゆるんでいた。

「ならぬ?」

探るように曹操は目を細め、言った。

「どんなもの?」

「なんでしょう。ひとそれぞれ異なりましょうな」

「おまえは?」

「残念ながら、そのときにならないと分かりませぬ」

「してしまいそうだと、言ったではないか」

「はい。ですが、局面でなにを想うかは知れません。従兄上は、なにを想いかえしますか」

わざと、はぐらかしているのではない。本当に、いくらめぐらしても見当つかない。遠く離れたひとか、苦楽を共にしてきた身内。すでに世を去った友、親類。生者であるとも人間だとも限らない。

「そなたと寸分も変わりない」

「やはり従兄上も、分かりませんか」

「夏侯惇、疑ってもよいか」

曹操が言いたいことは、すぐ察せた。

夏侯惇は、従兄の妻へある種の情を傾けてはいる。恋慕ではないにしろ、同じものだと従兄は考えるだろう。欲しいか。再度尋ねられれば、ただただ、父か兄として。答えは決めている。それ以上でもそれ以下でもない、ただ大切な護りたい存在。

「どうぞ」

「預けた日、あやまりは犯してなかろうな」

「もちろん。従兄上の懸念が当てはまる不道徳は」

曹操は立ち上がって夏侯惇に歩み寄った。

見上げる。

「父と娘ですのに、はしたない行為をするとお思いですか」

隻眼の将の顔は柔らかだった。嘘をついているか否か見破る力は備えてあった。偽りを申してなどいなかったが、なにか、は起きていたと確信に近いものはあった。男と女の俗っぽい交わりではなく、もっと神聖かつ高尚に値する「なにか」。

秘密が、理嬢と夏侯惇を結んでいる。

秘密?問い詰めてやろうか。

ふいに、背に剣を無数に突き立てられ首に喉輪を嵌められた気分になった。喉の奥が、熱く泡打つ。自分には、手の届かないものに感じる。自分の入る隙間はないのか。しかし、触れても入ってもいけない気もある。

殴ってやろうか。腕を振り上げた。やり場のない疑念。口惜しいんだ。僻んでいるんだ。この拳をぶつけたら肯定したことになる。

従弟の頬を触れるくらいの強さで、軽くつついてやった。

「理嬢は、元気か?」

「春がくるのを楽しみにしていましたよ」

「影は落としていないか、いつもと変わらず笑っているか」
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