赤紅の傷痕
□一
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寝酒の代用に箏を扱う指は、やがて即興を巻き起こす。
なだらかな響きから突然激しく盛り上がった。
「歌い手と舞い手の役者が居らぬのが残念だ」
「耳障りでしたか」
ひとつ重く弾いた。
「そなたの箏は久しぶりだな。聴こえたので、ちょっと、愛でよう」
「従兄上が、わざわざお越しくださるほどのものではありません」
「いやいや、腕は鈍っていないようだが?」
曹操がいた。
「我はそなたの鳴らす音が好きだ。淹れる茶も。以前、理嬢に茶を作らせてみた。なかなかに美味であった」
「箏は弾かせてやりましたか?理は、楽器だけはどうも上達が見込めませんでね。あれをたとえるなら、花瓶が割れた音です」
「言い過ぎではないか?」
「手の施しようがない不得意なのですから、仕方ありません」
「我の妻でも、お世辞は言えんか」
「ええ。従兄上の奥方だとしても、私にとって、いつまでも育てた娘のまま」
曹操は胡床に座った。
「夜明けに進軍を開始するのでしょう。お休みになられては?」
「夏侯惇こそ、起きている」
「眠れぬために、弦と戯れていました。ご安心を、足や手を煩わすまねはいたしません」
「胸がざわつくのよ。落ち着きがない」
「高ぶっていらっしゃるのですね。張遼と純が喧嘩寸前までしたからですか?」
「いや。あんなのは、いつものことだ。互いに騎兵同士、仲良くすればいいいのにな」
「純には従兄上自慢の精鋭部隊を率いる自負、張遼には呂布譲りの統率力がありますからね。普遍的だと言えますか」
調律を合わせる。
「戦場に楽器を持参するのは、なんとも風流よな」
「従兄上こそ、歌詠みをなさったり舞を嗜んだりと結構な趣ではありませんか」
「孫権の配下、美周郎と呼ばれる美丈夫も音曲を好むらしいぞ」
「周瑜、公瑾ですか」
孫権の兄、孫策と義兄弟の契りを結んでいた男だ。孫策が暗殺された後は、狼狽える孫権に主君への敬意を払い、支えた。
軍事面、外界政策の知略に秀で、内界政策を司る張昭と絶妙な頭脳の連携を図っている。このふたりのうち、どちらかが折れれば均衡を保てはしない。
ひとりが内外括らず、二手に分かれているのは、一方が苦手とする分野なのだからだろう。
おそらく、軍事を務める周瑜が居なければ劉表、劉備を討つのに刻を有する荊州攻略で幕を閉じたかもしれない。