赤紅の傷痕
□一
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「たちが悪い。さっさと自分の巣に戻れ」
「そう邪険に扱わないで、退屈だから来たわけじゃない。話があるから来たんだ」
「は?くだらん話だ」
「決めつけないで。まだ言ってない」
簡単にしつらえられた寝台に我が物顔で腰をかけた。
「おまえにとって、理はなに?死んだら悲しむ?」
進撃部隊に入れてほしいとか、そんな内容だと予測していたが、持ち込まれた話は大きくかけ離れていた。
以前、同じような問いに最初は消極的な返答をした。
そのあと、足掻いて出した答えが見つかった。
「教えたりはしない。貴様が考えればいい」
「勿体ぶるな。減るもんではあるまいし」
「理をすぐ潰せるとほざいた輩に、教えるやつがいるとでも安易に考えているのか」
「なら、前といっしょで関係ないと?」
雀に対しての不信はどうやっても拭えないところまで達していた。実の姉を殺すと宣言した非情さと未知数の素姓。あからさまに避けたりはしないものの、こちらから近付いて関わることは絶対にしない。常に、それ相応の威圧を投げつけているつもりなのだが、雀は自分が口にした台詞をきれいに忘れたかのように付きまとってくる。
「理は、いま近くにいないだろ。殺しをしたって分からないから、理が死ぬ心配はない」
「俺が貴様を信用していない意味だと理解するんだな。できんのなら、水でもかぶって、お気楽な頭を冷やせ」
「ははあ。まだ俺が嫌いなわけか。根暗なやつ」
「根暗で結構だ。おまえは嫌いだ。出てゆけ」
溜め息気を吐きながら立ち上がる。そのまま夏侯惇の横を早足で通り過ぎて、天幕を出て行った。
ひとりだけになると、外套を脱いで寝台の上に腹這いになった。
照らしていた灯火は消えて、布越しに青白い月明かりと篝火の赤い明かりが薄く幕内を淡くさせる。
身体を反転させ、額に手を当てた。眠れない。少しでも心身を休め、万全の状態にしておくべきだと頭では理解しているのだが、身体はどうしてか逆らっているようだ。
身体のなにかが足りないのか。
ふと、思い立って寝台の隅に置いておいた箏を掴み上げ、膝に載せた。弦を一本ずつ鳴らし、ゆるんだものを丁寧に張る。
十本の指は淀みなく曲を奏で始めた。
豊かな音は、虚空を彩り、透明を色つけていく。咲かれる牡丹が夜露に濡れ、あでやかに乱れる姿、白馬が野を駆け緑の原を風が梳くく図。黄色の水ではなく、新芽のように青青とした流麗。美しいものだけなら、いくらでも浮かぶ。自然を謳う曲は幾らでも知っている。何度も何度も弾き慣れた音曲を次々に奏でた。
雀は理嬢の顔をしていた。こころが不安定になり、幼くなった無邪気に笑う表情がふたつ重ね合ったように見えた。顔のよく似た姉弟のちがいは、性格はもちろん、纏う気にあった。
理嬢は穏やかに柔らかい。人を警戒せず、何にでも近付いて許容してしまう危なさがあるが、雀はこの世に存在するすべてを威嚇している。自分が気に入ったものしか認めないのだ。子どもじみた我が儘な部分がある。獣に近く、人の下に侍ることも、上に臨むのも嫌う。雀は雀であることに強いこだわりを持っているようにも見えた。
さらに、理嬢に固執していた。ふたりの過去にあった真実は当てもつかない。理嬢の奥底を深く知っているのは、おそらく、夏侯惇ではない。雀だ。昔あった出来事を聞き出し受け止める勇気は、まだ、なかった。不甲斐ないと思うも、いつかは共有できたらと。
理の弟は艶美に美しかった。毒が混ざった草の卑しさの交わった美。そのなかに、理嬢が埋もれていた。面影ではない、そのものであるかのように。
よく、かこうとん、名を呼ばれるだけでも、どちらが目の前に居るのか錯覚するのだ。