赤紅の傷痕
□ニ
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「大さげな、もっと腰をひくくして言えばよかろうに」
「人間、冗談は大げさなくらいが、ちょうどいいんだ」
「冗談は好かん」
風が遠慮しがちに吹き始め、常緑種の葉がこすれあう音をうながした。夏侯惇の耳にもそれは聞こえる。近くにある大木の枝にくっついていた葉の多くは地面に落ちている。声が色が変わったわずかな葉は負けじとなんとか耐えていた。夏侯惇は夏侯淵の隣に腰をおろす。
「ところで、従兄上とはなにを話した?世間話だけではなかろう」
「ああ、もちろん。荊州にいる劉備のことなんだが、劉表は関係なく、あいつの仁徳を慕う民が思いのほか相当多いらしい。民だけじゃない、劉表の部下も」
曹操の手の内の、忍びの施しを受けたものどもによる情報であろう。足や目、耳がどれくらい潜んでいるのかは、夏侯惇、夏侯淵でも数を把握できない。それだけ曹操は用心深い人間で、聡明なのだ。
お家の問題はもちろん、人民の状況もきめ細かく調べさせる。
「荒んだ世に、あれは慈悲の神のごとく映えるのだろうな」
「俺にはいい顔を振りまく偽善者にしか思えんがね」
人間は善よりも悪が勝ると言いたげに、鼻を鳴らした。夏侯淵は実力と才能でのし上がった曹操に比べ、劉備を漢王室と姓が同じということで、名で得をしている成り上がりの軟弱者と思っているらしい。
夏侯惇は肩を軽く叩いてなだめる。
「つづきを」
「……………それでだ。従兄上としては徐州の二の舞は避けたいわけだ。俺もあんな殺戮は御免だ」
「農民を殲滅する戦ではないはずだぞ」
「望まざると巻き込まれたら、どうする?」
力のないものは力のあるものの犠牲者だ。
夏侯淵はなかで無抵抗の一般人もろとも虐殺した過去をそのまま投影していた。曹操の父曹嵩、弟曹徳、他一族のための仇討ちであった。曹操に劣らず憤怒のままに駆けた。それが極めて非人道であり、酷く評判を落としたと気づいたのは終わったあとのことである。
「いやいや、劉備が劉表に加担し、我らと一戦交えるといって民を狩り出すとは」
「なんたって、こちら側が戦力面では圧倒しているのだぜ。奴らの選択はふたつ。死守か降伏。前者ならどうしても戦力がほしいだろう?」
一般人の戦力投入。徳の劉備は反対するかもしれないが、劉表はするかもしれない。
劉備は劉表の食客である。そして互いに「劉」の姓を持ち、系譜をたどればいつかは同じ先祖に行き着く。客として主人の成すことを諫言することはできようが、止めることはできまい。親族のためと力を貸しもするだろう。
だが、あの男が民を守護するという信念を曲げるだろうか。
「……………劉表、そこまでするか?」
「あくまで、もしも、さ。ないとは言い切れない。鍛錬のされていない農民は使いものにならないが、死に兵としての価値はある」
「まるで駒だな」
「槍や剣とか握らせて兵に仕立て上げる。いまに始まったことじゃない」
「弱きが利用されるとは、なんとも心苦しい」
死に兵はそのまま、死を前提に意図的に配置された兵。先兵として陣を切るが、一番前だから奇襲のような攻撃も受けねばならないため全軍のなかで死ぬ確率はずっと高い。だいたいの場合、鍛錬をほとんどしていないものや見込みのない落ちこぼれが選ばれたりする。報酬で募ったりもするが、懐に入れている光景は見たことがない。
「我々でも、農民が武装していれば見分けはできない」
人間の数は温存したい。命を奪う罪悪の以外に、目的がある。ひとの数は国力を表し、ひとが多いほど豊かになる。敵方でも、できれば無傷の状態のまま兵力かつ人力を呑み込んでしまいたい。
減らすのではなく、増やしたい。
戦では必ず死人がでる。衝突が繰り返されるほど、山のように積み上がる。
「ああ、いけねえ。やめようぜ、こんな話」
首を振り、身体をはげしくさすった。
「あ、く、ま、での予想なんだから。悪い悪い方向へ考えるのはいかんわけではないけど、考えすぎはいかん。病は気から、暗い気からは惨事だ」
「だが、私たちのはたらきしだいで、どんなかたちにもなる。従兄上のため民のため、尽力すべきだ」
「そもそもだ。惇のせいだ」