赤紅の傷痕

□ニ
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「ことがあったのは従兄上のところだろうに」

「惨場を知りたいか?実際に見たわけじゃないし聞いた話だから、信憑性にはかける」

「愉しそうだな」

「うまれつきだよ、俺が話すとどんな暗いはなしでも、あかるく聞こえるんだと」

性格や武技をひっくるめて、対照的なんだろうと思う。夏侯淵が沈んでいる様子は見かけたことは丸きりないし、まず似合わないだろう。もし消えた蝋燭のような姿をみせるとしたら、腹を下したか気が触れたとしか考えられない。

夏侯惇は目を開けた。そして、ゆっくりと夏侯淵に向き直る。

「戦では惨劇は常。いまさら、殺しの残り香を訊いたところで、興味も起こらない。どうせ、そんなことはもう従兄上の、淵の私の耳さえにも届かんよ」

「なんでわかるよ。惇」

「勘さ。いや、希望に近いかな。ひとを殺すだの殺されるのは戦場だけでいい」

「それは同じ意見だな。血はそこだけでいい」

「だが、意のままになることは少ない。神でもない我々がいくら願おうと叶わぬ。なんとも儚いな」

消極的な発言。じっと、夏侯惇は見据えていた。どこか狂暴性を潜ませた隻眼に身じろぎそうになるが、耐えた。反らせば、それで負けを意味するような気がした。べつに、喧嘩をするでも諍いを起こしているのでもない。これからの事象を糸を張りつめているというものでもなし。意図が知れぬ。

この眼光の異常さはいったい、なんだろう。

突然、夏侯惇は異様に落ち着いた声で言った。

「私は何人殺したと思う」

「どうしてそんなこと訊く」

「いいから答えろ」

夏侯淵は考える素振りを示した。

自分と従弟は、従兄である曹操の旗揚げ時から従兄弟という間柄もあり、志しと人がらに惹かれ従った。何回も腐臭にまみれた場面に遭遇し、何人もの人間と対峙を果たす。十本の指では数えられぬほどの人間と刃を交えた。弓術が得意である自分は、どれほどの矢を射ったか。

思い出というには軽すぎるものだ。自らの手にかけた人間のことを思いやったことはすくなかった。射殺すことに慣れゆく途中で、止めたのだ。こころのどこかで戦だからと割り切っていた節もある。

指を絡めた手のひらに、汗が滲んでいる。

「数える暇なぞねえ……………」

斬った。射った。

「わかるわけないじゃないか」

「そうだ。わかるはずなどない」

夏侯惇は隻眼を夏侯淵からはずし、立ち上がった。

「私がこれまで殺してきた数など、いまになってわかるはずなどないのだ。そして、殺という事実を否定されることもないだろうな」

「多くの犠牲をはらって、それで、みんな生きてる。俺たちだけじゃない、ぜんぶだ」

「死んだものたちは、私を怨むだろう。母や、父や妻、子ども、恋人が必ずいたはずなのだから、縁者たちも、私を憎んでいるだろう」

「戦では死ぬか生きるか。殺してった奴も、覚悟してたはずだ」

無我夢中であった。気を抜いたらお仕舞い。築いてきたすべてのものが底辺をも残すことなく崩れてゆくのだ。お仕舞いは肯んじえない。だからこそ情けは必要ない。情けをかける余裕がないのは、おそらく死んだ相手たちも同じであろう。

しかし、罪にならないとは言えぬ。罪なのだ。

「気負ってるのか?」

「まさか。私は断然ふつうだ」

「おまえはひとりで抱え込むから、ときどき、心配になる」

「色恋沙汰の次はそんなことか。淵も忙しい奴だ」

「従弟どのが、かわいくてかわいくて、仕方ないのさ」

「奥方にでも言ってやるのだな。男が言われても嬉しくないぞ」

「女に対する意味合いじゃねえよ」

短めの笑いを切って、夏侯淵は夏侯惇の背を見た。毒気を少々含んで、言う。

「おまえは晴れて言ってやれよ。花嫁さんに、かわいいかわいいって。ただでさえ女の扱いに疎いんだから、練習しておけよ」

「俺にそんなのは似合わない」

「まあねえ。もしそんなことがあったら、お天道さまとお月さまがお顔を出さなくなるかもしれねえ」
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