第五章

□甲州勝沼の戦い、三
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永倉さんに手を引かれ私はひたすら走り続ける。 


そこかしこに敵味方問わず多くの死体が転がっていた。 


今更無条件に恐ろしいと思う事もなくなったが…。 


先程目の前で死んだ若い隊士の事が不意に頭を過った。 


そして私は目の前を走る大きな背中を見やると…。 


「…ここまで来れば、もう不用意に走る必要もねぇか」 


天霧さんと別れた場所から大分距離が開いた辺りで、そう言って永倉さんが周囲に警戒しながら立ち止まり、掴んでいた手がそっと離れる。 


「大丈夫か、櫻」 


そう言いながら永倉さんは心配そうに俯く私の顔を覗きこんできた。 


けれど私には彼が何を言っているのか分からなかった。 


永倉さんの方がよっぽど傷だらけだというのに…。 


私の事を気遣っているこの人の方が、よっぽど…。 


「…ごめんなさい」 


「?」 


「私のせいで…こんなにっ、貴方に傷を負わせて…」 


永倉さんだけじゃない。 


天霧さんだって、どんなにあの人が強くたってあの数の羅刹相手に無傷で済むわけがない。 


薫さんも…、彼の心を私は無自覚にどれほど傷つけたのだろう。 


先程の薫さんの酷く傷ついた表情を思い出し、そして同時に思い浮かぶ少女の姿が在った。 


「……千鶴っ」 


「おい待てっ、一人でどこ行くつもりだ!!」 


一人で走り出しそうになる私の手を永倉さんが掴む。 


「行かせて下さい!私…、千鶴の所に行かなくちゃっ」 


「千鶴ちゃん…って。そりゃ風間があっちに行ったってのは心配だが、あそこにゃ近藤さんや斎藤だって…」 


「違うんです、それだけじゃなくて…っ」 


私が懸念しているのは羅刹の事じゃない。 


たしかにその事も心配だけれども、千鶴の傍に居る人たちの事を考えればそこまで深刻に構えることはないだろうと分かっている。 


だから私が心配しているのは…。 


「綱道が…千鶴の前に現れたら。……あいつは」 


あいつはまたきっと語るのだろう。 


自らが犯した罪をまるで英雄譚でも語るが如く。 


誇らしげに、あの子の前で語るだろう。 


何も知らないあの子の前で…奴は。 


「行かなくちゃ。あの子を独りにはしておけない!」 


もう嫌だった。 


もう見たくなかった。 


「もう…誰かが傷つくところを見るのは……嫌ですっ」 


「……」 


私の押し潰れそうな訴えを聞いた永倉さんは何も言わなかった。 


でも私の腕を掴む手の力は緩められることはなく。 


戦場に似つかわしくない程の沈黙が下りた。 


砲撃の轟音が聞こえなくなった今、山の中の空気は酷く静寂だった。 


…が、その時。 



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