新哀・新志・コ哀小説

□そして始まるといい
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いささか、春の雨は切ないと感じる。
そう思うようになってから…もう何度目の春がやってきたのだろうかと、灰原哀は不意にそう思っていた。
開放的なリビングの窓から見える、庭に咲くガーベラの花に目を向ける。
淡く美しいピンク色の花びらから、ぽたりと雨露が滴り落ちた瞬間…哀の脳裏にある人物の背が悲しく浮かび上がった。
もう、ずっと顔も見ていなければ声も聞いていない。
あの日、自分の前から忽然と姿を消してしまった……江戸川コナンのことを。

五年前…。
黒の組織崩壊と共に、APTX4869のデータまでもが失われてしまうという不測の事態に見舞われた。
酷く絶望した江戸川コナンは、ある日突然…行方を暗ませることになる。
ただ、暗ませると言っても、近しい人たちだけには、居場所は伝えてあるようだった。
だが、敢えて哀はコナンの居場所を聞くことはしなかった。
誰よりも、コナンの居た堪れない気持ちを理解していたつもりでいたし、何よりも絶望の淵に居る彼を、これ以上自分の存在で追い詰めたくないというのが大きな要因の一つだった。
傍にいれば嫌でも思い出すと思っていた。黒の組織のことも、そしてあの愚かしい…APTX4869の存在も。
今のコナンには、時間が必要であることも分かっていた。
それは決して逃げる為の時間ではない。心を再生させる為の時間だ。
あれだけ心の拠り所にしていた幼馴染も、今ではもう…別の人と結婚してしまったのだからーー…。

きっと、もう会えない。
会ってはいけない。この五年間…神様が自分にそう告げているのだと言い聞かせて生きてきた。
多くの人間の命を奪い、工藤新一を含め多くの人間の人生を狂わせてきたあの忌まわしい薬の開発に携わってきた、自分への戒めだと哀はそんな風に感じていた。

(江戸川くん、私…。もう13歳になってしまった…わ。)
もう…何度ほど、こうして呼びかけただろうか。
ずっと心の片隅に居る、江戸川コナンに。






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